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【PL学園】に関するニュースを集めたページです。

横浜高校で時代築いた野球部名物コーチの思い出を記者が述懐
横浜高校で時代築いた野球部名物コーチの思い出を記者が述懐
 横浜高校野球部コーチ、小倉清一郎氏(69歳)の今夏限りの引退が報じられた。名物指導者の引退は、高校野球界だけでなくプロ野球界の今後も変えるかもしれない。フリー・ライターの神田憲行氏が書く。 * * * 私が小倉さんと初めて出会ったのは、1998年、「横浜vs.PL学園」(朝日新聞出版文庫)というノンフィクションを書くためだった。あの松坂大輔投手とPL学園の延長17回の戦いである。 本の中で小倉さんがPLの投手の癖、打者の打球方向などを分析した「小倉メモ」を紹介したところ、大きな反響があった。見た目はお腹がでっぷりと出て「べらんめえ」調の喋りだからアバウトな人かと思いきや、相手選手の長所短所を瞬時に見抜く鋭さがあった。小倉さんが作成した「投手の一塁牽制」に関する横浜高校の練習メニューをみせてもらったら、A4紙に3ページにわたって図入りで詳細に書かれていた。神奈川の細かく緻密な野球をリードした人だと思う。 出たり入ったりはあったが、1994年から同校野球部部長に就任し、横浜高校時代の同級生・渡辺元智監督と二人三脚で全国優勝5回に導いた。プロに送った選手も、松坂を始め、成瀬善久(ロッテ)、涌井秀章(同)、筒香嘉智(横浜DeNA)ら、枚挙にいとまが無い。主に精神面は渡辺監督、技術面は小倉さんが担っていた。松坂はかつて私に、「高校時代にピッチング練習してて、渡辺先生が後ろから見ていたらすごく緊張した。でも小倉さんだと何にも怖くなくて、リラックスしてました」 甲子園で私が挨拶に伺うと、必ず「おう、あんた、まだ(記者)やってたのか」「勝手にやめさせないでくださいよ」 というやりとりをしていた。私のことを覚えているのかいないのか、どうも狸でよくわからない。でもたまに囲みの取材の中で思い切って自分の野球観を交えた質問をすると、私の顔を指して、「その通り!」 といってくれて、ちょっと心が躍った。逆に1度、いじったこともある。 2006年の夏、その年の選抜で優勝した横浜は初戦で中田翔がいる大阪桐蔭と対戦した。中田はその前年、1年生で華々しくデビューしていた。試合前に小倉さんにその対策を訊ねると、「中田翔なんてまだまだ、だよ」「ピンチでは敬遠とか」「するわけねぇだろ」 ところが四球を2つ与え、特大のホームランも打たれて6対11で敗れた。試合後にまた小倉さんのもとに行った。「敬遠しましたよね」「してない!」「いやだって、ストレートで歩かせたじゃないですか」「あれは、たまたま、外れただけ」 お茶目なところがあった。 2009年に定年に伴い、部長職を降りてコーチになり甲子園ではベンチに入らなくなった。コーチになったばかりのころ電話をすると、「久しぶりに風邪をひいちまったよ。緊張感が解けたのかなあ」 とぼやいていたのを覚えている。 そのころから、横浜の野球部が少しずつ変わっていったと思う。勝つには勝つのだが、外野手が緩慢なプレーをして単打を長打にしたり、打席で相手投手を挑発するような振る舞いをするようになった。1998年のチームなら考えられないようなことだ。今年のセンバツではも初戦で敗れ、春の関東大会でも44年ぶりというコールド負けを喫した。今後、毎年のように指名上位に選手を送り込んできたドラフト戦線でも変化が訪れるだろう。 横浜高校から離れて、小倉さんは今後、全国を指導で回る意向があるという。一抹の寂しさは禁じ得ないが、小倉さんの新しい活動も楽しみもある。
2014.05.25 16:00
NEWSポストセブン
今年の阪神 たけし軍団に2-4で負けた暗黒時代の不吉な影想起
今年の阪神 たけし軍団に2-4で負けた暗黒時代の不吉な影想起
 阪神がおかしい。オープン戦では最下位を争うなど、昨年2位だったとは思えない体たらくぶりなのだ。縦縞軍団に何が起きているのか。そこにはあの長く苦しかった「暗黒時代」(1980年代中盤~2000年代前半)の再来を思わせる、不吉な影が差していた。  オープン戦7連敗は球団ワーストタイ記録。球春間近い3月11日になってようやく初勝利を挙げ、虎党はホッと胸をなで下ろした。  思えば今年はキャンプから、嫌なムードが漂っていた。話題になるのは、“臨時コーチ”の掛布雅之氏ばかりで、チームはさっぱり新聞の話題にも上らない。久しぶりに記事が出たと思ったら、新外国人・ゴメスの騒動。「家庭の事情」とやらで来日が2度も延期されたうえ、「微熱が出た」といって紅白戦を休む。結局3月半ばになっても、能力は未知数のままだ。 「ハズレの臭いがプンプンする助っ人やなあ。去年のコンラッドも最悪やったし。大丈夫かいな」  そんな70代ファンの嘆きも、もっともだ。 「まァ、1回勝てたからエエわ。しかし、なんか昔に戻ったみたいやなあ」  そう、オープン戦とはいえこの状況、なんだか懐かしい思いがしないだろうか。「最下位争い」、「ハズレ外国人」、「1勝してホッとする」……、虎党なら“あの頃の匂い”を感じるはずだ。いわゆる「暗黒時代」である。  1987年から2002年にわたる17年間、阪神は最下位10回、5位2回という酷い低迷期にあった。そういえば今季で3年目を迎える和田豊監督は1985年に入団、2001年引退。つまり現役3年目から暗黒時代に突入した人物が、監督“3年目”を迎えるのだ。これも不吉な予兆か? 忘れたくても忘れられない、あの忌まわしい記憶がいま甦る──。 1985年の日本一の余勢で、1986年はAクラス(3位)に留まった。しかし1987年は投手陣が崩壊。頼みの4番・掛布も.227という絶不調でチームは勝利から見放され、7 月7 日には借金を30まで増やし、早々と最下位を決めた。この年は、今でも球団ワーストとなる勝率.331を記録する。  続く1988年。監督が吉田義男から村山実に交代したこの年も、開幕直後に不測の事態が起きる。5月、主砲・バースが、「長男の病気」のため帰国。その後の交渉もうまくいかず、そのまま退団したのだ。チームの不振は続き、2年連続で最下位。おまけに掛布がシーズン終盤に引退を発表し、大砲2本を失った阪神は、本格的な低迷期に突入した。「思えばこのバースの一件がケチのつき始めでしたな。交渉がこじれた末に、当時の球団代表が飛び降り自殺。嫌な事件が何かを暗示するかの如く、ここから暗い時代へのベルが鳴りました」(在阪スポーツ紙元幹部)  チームの雰囲気も激変したという。1985年優勝メンバーの岡田彰布氏の証言。 「1985年組がバースをはじめ、1人、2人と球団と揉めていなくなる。その後はとても野球をやっている雰囲気ではなかった。若手を起用するが、実力が伴っていないし、その分ベテランが割を食って雰囲気も悪くなる。柱になる選手がおらず、日本一メンバーの人気にこだわって補強もしなかったツケも出て、明らかにチーム力が落ちていた」  1989年は助っ人・フィルダーが38本塁打と気を吐き5位。しかしこのフィルダー、9月には三振に怒って自ら叩きつけたバットで骨折したうえ、契約で揉めて1年で退団。「バースの再来」と沸いていたファンをぬか喜びさせた。  1990年は再び最下位となり、翌1991年も開幕5連敗でスタート。6月には10連敗を喫するなど低迷し続け、文句なしの最下位に沈んだ。オフに行なわれたイベントでは、たけし軍団と野球をして2-4で負けた。 ファン感謝デーでの“お遊び”だとはいえ、一応プロ対アマのはず。この試合に出ていた、亀山つとむ氏が語る。「ええ、確かに負けました。軟式だったうえ、投手はコーチがやり、内野を外野手、外野を内野手が守備していたという事情はあったが、いえばいうほど言い訳になる(笑い)。当時はPL学園より弱いなんていわれていましたね」※週刊ポスト2014年3月28日号
2014.03.18 11:00
週刊ポスト
千葉ロッテ・石川歩のカーブ かつての前田健太そっくりの評
千葉ロッテ・石川歩のカーブ かつての前田健太そっくりの評
 これまでアマチュア投手の球を受けること実に180人以上、“流しのブルペンキャッチャー”安倍昌彦氏は昨年、ヤクルト2位指名の小川泰宏投手(創価大)の台頭をいち早く予言するなど、プロスカウト顔負けの情報量を持つ。広島・大瀬良大地や楽天・松井裕樹ら大型新人の下馬評が高いが、安倍氏が今年話題のもう一人の新人について語った。 * * * 新人王候補なら、千葉ロッテ1位指名の石川歩(25、東京ガス)だって負けてない。やはり、シーズン当初から先発ローテーション入りすると見ている。中部大当時とは人間が変わった。よほど何か悔しいことがあったのではないか。  ピッチングに“意地”が見えるようになった。相手に合わせるように弱々しく笑わなくなった。そのぶん、とんがった投球になった。  もともとその気になれば150キロも出せる投手だったが、腕の振りに“確信”がなかった。自分を信じ切れていなかった。そこが社会人で変わった。腕の振りに“怒り”が帯びてきた。  球を受けたのは、石川が大学4年の時。みぞれが降る寒い日だった。富山出身だから寒いのは平気、と白い息を吐きながらの熱投だった。“気のいいやつ”だった。  全力で投げ下ろす速球はコンスタントに140キロ台。その角度が素晴らしかった。今のプロの打者が苦手にしている落差の大きなカーブと沈むシュートという2つの“必殺兵器”を持っていた。  とりわけ、一度すっぽ抜けたようになってから垂直にガッと落ちてくるカーブは、PL学園当時の前田健太(広島)のカーブにそっくり。社会人で一段と鋭く進化したカーブは、プロでも三振がとれる魔球だ。  自分が「やれる!」ことを確信した若者のパワーは、ヤクルト・小川泰弘の例を見るまでもなく計り知れない。スタートがすっと出られれば、一気に突っ走って15勝。そんな“絵”だって、私には見えている。※週刊ポスト2014年2月14日号
2014.02.07 07:00
週刊ポスト
オリックス 山口高志の「14」つけた選手のほとんどが短命に
オリックス 山口高志の「14」つけた選手のほとんどが短命に
 プロ野球界では“炎のストッパー”津田恒実(広島)、阿波野秀幸(近鉄)と名投手の多い「14」。オリックスでもオールドファンには馴染みの深い剛速球の本格派、阪急時代の山口高志の背番号だ。だが、この番号が今、同球団では、「呪いの背番号」になってしまう。 というのも、山口は新人王を獲得するも実働8年と短命だったことが刻み込まれたかのように、後に「14」を付けた選手のほとんどが短命で終わっている。 1983年、PL学園の甲子園優勝投手、榎田健一郎は未勝利のまま3年で引退。ドラフト2位の山内嘉弘も8年で10勝止まり、続く丸尾英司は4年間で1勝、山口和男も7年で14勝しか挙げられずにスカウトに転向した。2009年のドラ1、古川秀一も、4年間で未勝利。来年からは13年のドラ1、吉田一将が背負うが、果たして。※週刊ポスト2013年12月13日号
2013.12.06 16:00
週刊ポスト
宮本慎也の守備 立浪・片岡に暴投できぬPL時代の緊張が原点
宮本慎也の守備 立浪・片岡に暴投できぬPL時代の緊張が原点
 プロ野球選手となって19年、ヤクルト一筋で遊撃手、三塁手としてゴールデングラブ賞を10回受賞した宮本慎也が今季限りで引退する。その輝かしい受賞歴が示すように、宮本は「守備」に対しては並々ならぬこだわりを持つ“求道者”である。 宮本は飛びついて打球を捕るような「ファインプレー」を、良しとしない。「とてもグラブが届きそうにない打球を横っ飛びで掴んだり、走りながら捕ってジャンピングスローなんていうのはイヤなんです。そういうプレーをすると、ピッチャーが心配するじゃないですか。僕はピッチャーをハラハラさせたくない。(中略)どんな難しい打球でも、涼しい顔で軽く処理してアウトにしたいんです」「打者が打ってからスタートを切っていては遅い。僕は投手がボールを投げた瞬間に、そのコースと球種で打球が飛んで来やすい方向を想定し、動き出している。だからアクロバティックなプレーにはならない」(『アサヒ芸能エンタメ』2002年6月) 宮本は名門・PL学園で守備を磨いた。1学年上には片岡篤史や立浪和義など、甲子園春夏連覇の最強世代がおり、そこで受けたシートノックや、「先輩相手に暴投できない」という緊張感が、彼の守備を上達させたといわれている。 宮本が守備の際に重要視するのは「薬指」だという。セの中堅選手が解説する。「ボールをリリースするとき、大体の人は人差し指と中指ばかり注目する。でも実は、それだけでは安定しない。薬指でボールを固定して投げるからこそ、正確な方向に投げられるというのが宮本さんの理論です。こんなことをいう人は、プロ野球界広しといえど、宮本さん以外にはいません」※週刊ポスト2013年10月18日号
2013.10.09 07:00
週刊ポスト
金田正一氏 桑田真澄氏に練習法称賛され「そうじゃそうじゃ」
金田正一氏 桑田真澄氏に練習法称賛され「そうじゃそうじゃ」
 夏の高校野球甲子園大会では、将来のプロのスター候補投手が連投に次ぐ連投を強いられるのが、一昔前までは当たり前だった。そんな投手がプロに入って活躍できなかった場合、「あの時の連投で肩を酷使していなければ……」と嘆かれることもある。400勝投手の金田正一氏と、小柄ながらPL学園、巨人と活躍し、現在は東京大学の硬式野球部で特別コーチもつとめる桑田真澄氏が、投手にとって多く投げることはよいのか否か、激論を交わした。──金田氏は通算5526.2投球回数の日本記録を持っているが、その時代は、酷使が祟って引退が早まった選手もいる。金田:何が酷使だ、ワシの前でいう言葉か。何もわかってないんだよ。桑田よ、一つ聞くが、お前は「投げ込み」については反対か?桑田:僕は、体が出来上がるまでの成長期には沢山投げてはいけないと思っています。ですが20歳以上や、プロになるなど、体ができてからはある程度投げないとダメだと思っているんです。理由は早い時期に合理的で効率的なフォームを身に着けるため。それを固めれば、ケガをしにくくなるんですよね。金田:その通り。妙なフォームで投げるから負担になって故障するんだ。単純に何度も投げるからではない。そういう丁寧な説明を補わないから「消耗品」という言葉が一人歩きしてしまう。桑田:ヒジや肩が壊れるというのは、投げ過ぎよりも良くないフォームで投げるということが原因にあると思います。故障はその警告なんですよね。──桑田氏は誰のフォームを手本に?桑田:中学生の時から、たくさんの名投手の写真を集めて研究しましたね。金田:ワシの写真も入っとるだろうな?(とニラむ)桑田:もちろんです。左投手では金田さん、鈴木啓示さん、江夏豊さん。僕と同じ右投手も、日本やメジャー、黒人リーグの選手まで集めました。すると、いいピッチャーには絶対の共通点が一つ見つかったんです。どの名投手も、頭を残して先に下半身が前に行く「ステイ・バック」ができているんです。こうすると、上半身に負担がかかりにくいから、どれだけ投げても故障しづらいんです。 でもこれは、足腰が強くないとできない。だから金田さんの「走れ走れ」というのは、実に理にかなっていると思うんです。金田:そうじゃ、そうじゃ(と頷く)。桑田:ピッチャーと野手の決定的な違いは、野手が平坦なグラウンドでプレーするのに対して、ピッチャーはマウンドという斜面に立つということ。傾斜地で頭を残して下半身を前に持っていくため、野手よりも足腰の力が必要になるんです。金田:獣がケンカする時には、沈む体勢をとって構えるだろう。あれと同じだ。桑田:金田さんのいう「沈む」というのを、最近の選手は勘違いして、軸足一本で立つ時にヒザが折れてしまう。これだと下半身だけでなく、上半身も一緒に前に出る。だから負担がかかってケガをする。大事なのは、頭を残して腰が前に行きながら沈むことです。金田:ワシが現役の頃は、マウンドもすぐに土が掘れて足首まで埋まってしまう最悪な状態だったから、ケガをしないため柔軟な体を作る必要があった。環境の悪さが関節を柔らかく保つ重要性を教えてくれたようなもんだ。股関節の硬いヤツはみんな消えていった。桑田:必死で投げ抜く中で、そういうことを自力で身に着けてきた先人たちは凄いと思います。金田:ロッテの監督時代、1人の故障者も出さなかったのは、下半身強化の練習をやらせたから。だが、今の選手にあの練習をやらせると、すぐにぶっ倒れてしまうだろうな。※週刊ポスト2013年9月20・27日号
2013.09.11 07:00
週刊ポスト
高校野球大会の連投について金田正一と桑田真澄が激論交わす
高校野球大会の連投について金田正一と桑田真澄が激論交わす
 今年の夏の甲子園では、準決勝の前に初めて「休養日」が設けられ話題となった。休養日の設定は、連投を続けさせることで有望な選手の未来をつぶしているのではないか、という批判に応えた措置と言われている。 400勝投手の金田正一氏と、小柄ながらPL学園、巨人と活躍し、現在は東京大学の硬式野球部で特別コーチもつとめる桑田真澄氏が、投手にとって多く投げることはよいのか否か、激論を交わした。──現在の球界では「投手の肩は消耗品」という考え方から、「投げすぎると壊れる」といわれる。高校野球での連投も、かねてから批判の対象となっている。甲子園を制した者として、桑田氏はどう考えるのか。桑田:高校野球は変えないといけないと思いますね。始まった当時のシステムが、未だに残っていますから。 かつては学生野球の「上」、つまりプロがなく、極端にいえば甲子園で肩が壊れてもよかったんです。ボクだって高校で野球は終わりといわれたら、骨折しても突き指してでも投げますよ。でも今は大学や社会人、独立リーグにプロ野球、メジャーリーグまで子供たちの未来は広がっている。甲子園で壊れるわけにはいかないんです。もう少し大人たちが、子供たちの将来を考えた日程を組んであげないといけません。金田:それで今年の夏の甲子園では、準々決勝の後に1日休みを作っただろう。ワシはこれで、「高校野球も終わりだ」と思ったね。批判を避けるために、お茶を濁しただけだ。高校野球というのは、連投、連投で各校が最後まで死力を尽くすからこそ、感動が生まれてきたんだ。それに1日ぽっち休んだところで、何かが変わるもんじゃない。──金田氏は連投しても問題はないと?金田:バカ者、ワシがどれだけ投げたと思っている(※5526.2投球回数は日本記録)。人間の体は、そう簡単には壊れやせんわい。桑田:でも金田さん、ヒジが曲がっても腕が折れても投げようとする子は、今でもいるんですよ。それをメディアが煽って美談にしてしまうから良くない。そうやってダメになった選手を何人も見てきました。金田:あれだけ甲子園で投げたお前自身は、壊れていないじゃないか。桑田:僕は少しでも、体に違和感を覚えると投げませんでしたから。「根性無し」とか、「何サボってんねん」とかいわれましたけどね。理由は将来プロ野球選手になるため、壊れるわけにはいかなかったんです。だから予選の前には、1か月ノースローで過ごしたこともありました。金田:甲子園の優勝はどうでも良かったのか。桑田:そんなことありません、優勝は大事な目的でした。ノースローも優勝のためです。実際、1か月走り込んだことで肩の調子も良くなり、以前より良い投球ができるようになりました。金田:よく監督が許したな。桑田:普通なら「投げられない」といえば「もういらない」といわれる世界ですよね。だから言い出せなくて、ヒジや肩の爆弾が破裂してしまう選手が多い。PL学園の中村(順司)監督に理解していただいたのはありがたかったですね。 すべては指導者の勝利至上主義が問題。よく「お前と心中だ」なんて話す指導者がいますが、本当に心中してくれる人なんていません。子供は壊れて終わり。監督がその後の人生の面倒を見てくれるかといえば、そうじゃない。だからちゃんと、壊れないように大人が子供たちの体を管理してあげなくてはなりません。 もちろん勝利も大事ですが、学生野球では指導者の考え方を勝利至上主義から「人材育成主義」にシフトしていくことが必要です。金田:ウ~ム、子供は確かにそうかもしれん。しかし最近は一人前のプロが、「肩は消耗品」とかぬかすだろう。愚の骨頂だよ。「100球肩」などといわれた江川(卓)の頃からだな、おかしくなったのは。最近は楽して金を稼ぐことしか考えない“野球ブローカー”が多くて哀しい。 闘争本能をもって、ファンを魅了できるよう、登板したからには完全シャットアウトする気で投げないと。昔のピッチャーは皆完投してきたぞ。ワシだって1年で34試合、完投したんだからな。桑田:僕は最高で完投が20試合ですから、やっぱりすごいですね。※週刊ポスト2013年9月20・27日号
2013.09.09 16:00
週刊ポスト
横浜・松坂大輔 3時間半超える死闘の結果2日間で合計398球
横浜・松坂大輔 3時間半超える死闘の結果2日間で合計398球
 夏の甲子園で開催される高校野球大会は、世界に類を見ない国民的スポーツイベントだ。今夏95回を数えた大会の歴史を振り返り、ここでは1998年第80回大会準々決勝(8月20日)、東神奈川代表の横浜と南大阪代表のPL学園の一戦を振り返ろう。 センバツの準決勝で横浜に敗れたPL学園は雪辱を期していた。2回裏、前日の星稜戦で148球を投げた松坂に襲いかかる。先頭打者のセンター前ヒットをきっかけに、松坂に4安打を浴びせて3点を先取。動揺した松坂はボークまで取られて自滅寸前。 そんな松坂を救ったのが横浜打線だった。先発の稲田学を襲って、5回には4対4の同点に追いついた。PL学園は7回からエース上重聡が登板。1点勝ち越したが、横浜は8回に1点を奪い返す粘りを見せる。アマチュア野球評論家の松尾俊治氏が指摘する。「PL学園は記録に残らないミスを重ねた。そのミスが松坂を助けた」 たとえば8回表の守備。PL学園は二死一塁の場面で、一塁手がベンチからのサインを勘違いしてキャンバスを離れて守った。ランナーは大きなリードから楽々二盗を決めた。そして、同点タイムリーを打たれてしまった。「PL学園は正捕手がケガをして、8回から2年生の控え捕手がマスクを被った。公式戦初出場だった。その経験の浅さを露呈したのが、11回表の本塁クロスプレー。タイミングはアウトだったが、捕手がボールをこぼして松坂の本塁生還を許してしまった」(松尾氏) 勝敗を決めたのもやはり守備のミスだった。17回表の横浜の攻撃。PL学園は二死から遊撃手のエラーで出塁を許した。そして、打順が回らないはずだった常盤が打席に入り、2ランホームランを放って勝負がついた。 「松坂は8回ごろからどんどん調子を上げていった。投げれば投げるほど球は走り、制球力も増した」(松尾氏) 250球を投げた松坂は、翌日の準決勝の明徳義塾戦では先発を回避したものの、4対6で負けていた9回表にマウンドに上がって逆転勝利。決勝の京都成章戦ではノーヒットノーランを達成し、春夏連覇に花を添えた。 松坂と投げ合ったPL学園の上重は立教大学に進学して野球を続け、2年時に東京六大学の東大戦で完全試合を達成した。卒業後は日本テレビのアナウンサーとして活躍している。※SAPIO2013年9月号
2013.08.20 07:00
SAPIO
甲子園の傾向 第3試合ストライクゾーン甘くなると稀代の名将
甲子園の傾向 第3試合ストライクゾーン甘くなると稀代の名将
 名将と呼ばれた監督には、豊富な経験に裏打ちされたしたたかな戦術がある。勝利よりも大事なことがある、などという「高校野球の精神」は所詮キレイごと。すべては勝つために編み出されたものだ。 「勝って不幸になるヤツなんていない」──これは自らを「職業監督」と位置づける木内幸男氏の言葉だ。  木内氏は土浦一高、取手二高、常総学院で監督を歴任。取手二時代には春夏合わせて6回甲子園に出場、1984年夏はKK(桑田・清原)を擁するPL学園を破って、全国制覇を果たした。また常総学院では春、夏ともにチームを優勝に導く。春夏通算40勝は歴代5位である。一昨年夏の県予選を最後に勇退したが、類い希なるベンチワークや采配で、強豪を次々に破る“木内マジック”の名で知られる。 「マジックなんかじゃない。ただ観察力が優れていただけですよ」  こう語る木内氏の口からは、その「観察力」の真髄が伝わってきた。 ●甲子園の第3試合はストライクゾーンが甘くなるので、「勝負」に行け  高校野球関係者の間には、「試合を2時間で終わらせるのが名審判」という言葉がある。木内氏も当然、それを心得ている。 「だから第3試合はね、審判(球審)が試合を急ぐのよ。1日4試合ある日は第4試合がナイターになるでしょ。生徒を早く帰したいというのもあるし、照明の経費もかさむ。それで第3試合になると、第4試合の開始時間が見えるから急に急ぐ(笑い)。クサいところが全部ストライクになっちゃうんだよね」  当然、投手には強気の攻めを指示、打者には的を広げた好球必打を命じる。 「ゾーンが広いのに甘い球投げる必要ないぞ、打者はモタモタしてたら試合終わっちまうぞ、打っていけってね(笑い)」(木内氏) ●甲子園の風向きに合わせてオーダーを組む  甲子園に吹いている風は、時間帯によって向きが違う。午前中の試合では、「陸風」がホームからライト方向へ吹き、午後は逆にホーム方向へ「浜風」が吹く。 「浜風が吹くとライトには球が伸びにくくなるので、左のホームランバッターは怖くない」(木内氏)  木内氏はこれに合わせて、投手の攻めや、左右打者のオーダーも変えていた。また、日中の試合が多いため、左打者にはレフトへ流し打ちして犠牲フライを打たせる練習もさせていた。本来、流し打ちでフライを狙うのは難しいことだが、「風がある程度持っていってくれるから」だという。  事実、名将と呼ばれる監督の多くは風を気にしていた。「攻めダルマ」の異名を持ち、池田を率いた蔦文也氏もその1人。強打の「やまびこ打線」のイメージからイケイケのように感じるが、投手には吹く風に逆行するような球を打たせることを指示し、それに対する守りの重要性(主にセカンド、ライト)を、口癖のように語っていたという。※週刊ポスト2013年8月9日号
2013.08.03 07:00
週刊ポスト
桐光松井攻略したデータ野球 プロ出身監督ならさらに隆盛へ
桐光松井攻略したデータ野球 プロ出身監督ならさらに隆盛へ
 桐光学園・松井投手を攻略した横浜高校のデータ主義は、今後、元プロ野球選手の監督の誕生によって、より広がっていくかもしれない。フリーライター・神田憲行氏が考察する。 * * * 松井裕樹投手を擁する桐光学園が神奈川大会準々決勝で横浜高校に敗れた。翌日のスポーツメディアで話題になったのが、横浜の戦術分析である。松井投手の武器である縦に落ちるスライダーを見極めるために打席の後ろに立たせて、直球を狙わせる。牽制の癖を盗んで、盗塁を仕掛ける。桐光の各打者の打球方向を研究していたようで、現地で観戦していると、横浜の外野手の守備位置も打者によってかなり変えているのがわかった。抜けそうな当たりを二つほど好捕した。 横浜の分析を担当するのが、前部長で今はコーチを務める小倉清一郎さんだ。小倉さんの詳細な分析メモは「小倉メモ」として、高校野球界では有名だ。私は「横浜vs.PL学園」という本を書いたとき、PLの各打者の打球方向、投手の癖を書いたメモを見せられて衝撃を受けた。 もちろん分析して相手の弱点をあぶり出したところで、選手がそこを突けなければ意味が無い。だから練習も徹底して細かい。小倉さんから投手の一塁牽制の練習について記したノートを見せて貰ったが、足の使い方の図解入りでA4で3ページあった。 そんな分析が重要なら、今はビデオも普及しているからすぐにでも真似できると考えるかもしれない。実際真似している学校はいくつもあるが、「観察力」が必要で、なかなか小倉さんの名人芸の域に達することは難しい。 しかしそれも今後一変するかもしれない。元プロ野球選手の存在である。今年1月、日本学生野球協会と日本野球機構が話し合い、元プロ野球選手であっても、プロとアマが用意した座学研修を受ければアマの監督になれる途が開かれた。今まで引退したプロ野球選手が高校野球の監督になろうとすれば、教員免許を取得して2年間、教壇に立つことを求められていた。これからは高卒であっても、高校野球の監督になれるのである。 プロ野球といえば、相手の弱点の突き、癖を盗む油断のならない世界である。 実は桐光対横浜戦の前、元プロ野球選手が松井攻略について、「自分ならバッターを打席の後ろに立たせて、スライダーを捨てて直球に絞らせる」 と話していた。試合で横浜の各打者の打席位置をメモしていくと、一人をのぞいたメンバーが後ろに立っていたので「横浜も同じ考えなんだな」と思った。 また彼からは松井投手の投球の癖も教わったが、これは私の観察力では確認できなかった。もっとも彼も「まだ確証は持てないけれど」と語っていた。 プロ野球出身者が高校野球監督になれば、データ主義、分析力を活かした高校が今後続々と現れるだろう。そうなれば、高校生の必死さという高校野球本来の魅力とかけ離れてしまうと危惧する人がいるかもしれない。しかしそうだろうか。データと分析は「強者」だけのものとは限らない。プロ野球界随一のID野球を標榜する野村克也氏は、「ID野球こそ弱者の兵法」と言っている。引退したプロ野球選手が地元に帰り、母校の公立高校をID野球で鍛え上げて甲子園に出てくる……そんなロマンを私は期待する。
2013.07.28 16:00
NEWSポストセブン
桐光松井の写真に清原が驚愕 PL学園の伝説的な上下関係とは
桐光松井の写真に清原が驚愕 PL学園の伝説的な上下関係とは
 元プロ野球選手の清原和博氏が書いたコラムが、ネットの野球ファンに話題になっている。今夏話題の桐光学園・松井裕樹投手のあるシーンにからめて、高校野球界に苦言を呈した。フリーライター神田憲行氏が考察する。 * * * 清原氏のコラムは7月24日日刊スポーツ掲載の「オレの魂」。問題のシーンは桐光学園の神奈川大会で、ピンチを迎えたマウンドの松井投手の両頬を捕手が片手で鷲づかみしているところだ。清原氏はその捕手が1年生と聞かされて、《ほんとにイスから落っこちた。1年生が3年の顔をつかむとは……》 と驚き、以前のような暴力的な上下関係が正しいとは思わないが、と前置きしたうえで、《だけど、けじめとか節度といった部分はあって当然じゃないか。(中略)野球は、プロの世界でも年長者を敬う雰囲気を持ち続けてきた。この伝統は守っていくべきだと思うな》 もちろん清原氏の真意は桐光バッテリーを非難することではなく、「野球界全体が軟弱になっている」という主張にある。 私はこの試合を現地の保土ヶ谷・神奈川新聞スタジアムで取材をしていた。1年生捕手の名誉のために補足するが、彼は先輩を敬わないような傲慢な性格では決してなく、突然取材陣から取材対応を指名されて、ロッカーから慌てて裸足で現れて、「松井さんに頑張って欲しかったんで……」と照れて小声で話すような選手だった。3年生の顔を鷲づかみしたのは、清原氏がコラムで推測していたとおり、彼の性格というより捕手としての使命感からだった。 一方、清原氏が「イスから落ちる」ぐらいの衝撃を受けたことも、想像できる。 清原氏の母校PL学園には、かつて研志寮という野球部だけの寮があった。3年から1年まで同部屋で、下級生は「部屋子」「付き人」と呼ばれて、3年生の身の回りの世話をする。洗濯はもちろん、夜間の自主練習を手伝う、夜食のチャーハンを作る(PLチャーハンといってサラダ油の代わりにマヨネーズを使う。コクがあり美味い)。朝食も前夜のうちから先輩に卵の調理方法を聞いて、目玉焼きかスクランブルエッグを作らねばならない。1年生は生卵のまま食べるのがルールで、2年生は自分で調理してもよい。 PLからプロ野球に進んだある選手は「PL時代はいつもうつ伏せに寝てた」という。先輩の練習に付き合ってヘトヘトになって就寝するので、目覚まし時計を普通にかけても起きられない。またベルの音で先輩を起こしては鳴らない。それでうつ伏せになって目覚まし時計を抱えて眠り、ベルが鳴る直前の振動で起床するのだ。「うつ伏せが癖になってしまって、仰向けで寝られるようになったのはプロに入って何年かしてからですよ」 しかし他人から見れば理不尽の極みのような上下関係・軍隊生活を、この選手は懐かしそうに語るのだ。「深夜の練習で先輩のトスバッティング手伝ったあと、『風呂入ろうや』と誘って貰えるのが嬉しかった。お風呂につかって野球の話とかいろいろしたりしてね。苦しさがあるから、甲子園で『仲良しこよしの学校に負けてられるか』という気持ちにもなれたんですよ」 清原氏もコラムで「厳しい環境に身を置いてこそ、自然と技術も伸びてくる」と語っている。 あとから振り返って、理不尽な体験が自分を成長させてくれたと感じる人は多い。私もそのひとりだし、清原氏のコラムに賛意を示す人が多いのもその現れだ。しかし高校野球の世界では、PLの研志寮的な世界は「神話」として語り継がれはしても、復活することはないだろう。 今春選抜で優勝した浦和学院の寮は、相部屋のパートナーは同学年で、上級生といえども洗濯は自分でする。監督として甲子園最多勝利数を誇る智弁和歌山の高嶋仁監督は「下級生に洗濯やらせた奴は甲子園から和歌山に帰すと言ってある」という。いまチームの雰囲気を訊ねると必ず選手たちは「うちは上下関係がないんで」という。 甲子園は野球観、教育観の戦いでもある。PLのような上下関係の厳しい軍隊的な組織を乗り越えるために、全国で開放的なシステムを取る学校が現れた。そういう学校をまたさらに乗り越えるためには、もう軍隊組織ではないことは、PLの研志寮が部屋子制度とともに部内暴力の「温床」として廃止されたことからも明かだろう。次に甲子園に現れる「勝てる組織」はどのようなシステムなのか、私の興味はそこにある。
2013.07.26 16:00
NEWSポストセブン
PL教団の関連企業が経営する4つのゴルフ場は年商35億円
PL教団の関連企業が経営する4つのゴルフ場は年商35億円
 日本各地で、様々な新宗教の巨大建造物を見ることができるが、大阪・羽曳野丘陵に設けられたPL教団の「大平和祈念塔」を見たことがある方も多いだろう。そして、同教団こそ、甲子園の常連校、PL学園高校の設立母体として知られるパーフェクトリバティー(PL)教団だ。関西学院大学の對馬路人教授(宗教社会学)は言う。 「教団の前身である『ひとのみち』が戦前、弾圧を受けて解散させられたが、二代目の御木徳近教祖が再建。教義を『人生は芸術である』という言葉で表わし、人は表現活動によって暗闇がなくなり救われると説いた。こうした教えは都市部の中産階級の気持ちをうまく汲み上げた」 同教団は手広く多角経営を行なっていることでも知られ、中核企業の「光丘」は光丘カントリークラブなど4つのゴルフ場を経営、年商は35億円に上る(同社ホームページによる)。病院運営にも乗り出し、1956年にPL病院を開院(当時は宝生会病院。現在の病床数は370床)、1970年には東京に人間ドック専門の施設、PL東京健康管理センターを開設している。 また8月1日に行なわれる花火大会は特に有名だ。正式名称を「教祖祭PL花火芸術」と言い、れっきとした宗教行事である。打ち上げられる花火の数は数年前まで公称10万~12万発だったが、最近では他の花火大会に合わせて計算方法を変更、約2万5000発としている。それでも隅田川花火大会に匹敵する規模であり、日本最大級の大会であることに変わりはない。※SAPIO2013年3月号
2013.02.23 16:00
SAPIO
掛布雅之氏 愛車を野球関連博物館に売り電車で帰宅した過去
掛布雅之氏 愛車を野球関連博物館に売り電車で帰宅した過去
 堅く閉ざされた入り口には、1月3日付で「しばらく休館致します」という貼り紙があった。外壁に飾ってあった、名物社長が長嶋茂雄氏ら著名人と写った写真も撤去され、「ミスターの殿堂」は不気味に静まりかえっていた。  福井市内にある「山田コレクション」は、長嶋氏を中心とした野球選手の縁の品々、約5000点を所蔵する博物館である。福井県の不動産王・山田勝三社長(68)が、敷地に建てた時価20億円という豪邸の一部を改造し、2007年4月にオープンした。  巨人軍応援歌の『闘魂こめて』が流れ、背番号3のユニフォームを着たミスターの蝋人形が入館者を迎えるなど、賑やかだった同館。だが、本誌が「閉館の危機にある」との情報を入手して現地を訪れると、冒頭のような様子で、隣接する自宅も事務所も無人。社長の愛車も雪をかぶったままで、携帯も不通になっていた。  後日、社長夫人・美栄さんと連絡が取れた。曰く、社長は重篤な病に倒れ、館の今後については「何も決まっていない」のだという。  同館に飾られていたのは、ミスターが新人王を獲得した時のペナントに始まり、ユニフォームの実物、さらには愛用していた私物の財布、懐中時計、サングラスなど。  一方では、掛布雅之氏や故・小林繁氏など選手たちの“駆け込み質屋”的存在でもあった。 「掛布氏は、はるばる愛車を運転してやってきて売りさばき、電車に乗って帰っていった。他には桑田真澄氏の実父が、息子のPL学園時代のグラブを売りに来たこともある。後で桑田氏本人が、展示されているのを見て驚いていた」(ジャーナリスト)  仮に完全に閉館となった場合、これらの貴重な品々はどうなってしまうのか。 「グッズは山田社長が全国を回って、“転売しない”条件で個人的に集めたものがほとんど。そのためオークションにかけるのは難しく、他のコレクターに渡ることは考えづらい。しかも玉石混淆。野球体育博物館で厳重に管理されてもおかしくないようなものもあれば、価値があるのか判断がつきかねる物も多い。このままでは大量の不良債権として、貴重な品々まで処分される危険がある」(同前)  貴重な品々の消失と、選手にとっての質屋の閉店。どちらにせよ、球界には大きな痛手となりそうだ。※週刊ポスト2013年3月1日号
2013.02.19 07:00
週刊ポスト
東大野球部が本気モード コーチには谷沢健一と桑田真澄招聘
東大野球部が本気モード コーチには谷沢健一と桑田真澄招聘
 東大野球部は目下、どん底にある。2010年秋に早大に土をつけて以降勝利はなく、リーグ戦は46連敗中。30季(15年)連続で最下位を独走する。そんなチームに、「遥かなる一勝」をもたらすべく招聘されたのが同部OBで、都内で学習塾を経営する浜田一志氏(48)だ。浜田氏による「東大野球部再生計画」を、ジャーナリストの森健氏がリポートする。(文中敬称略) * * * もとより浜田の東大野球部に対する熱意は尋常ならざるものがあった。スカウトでは、毎年百人前後の選手に目をつけ、毎月現地に足を運び、数人の生徒を入部へ結びつけた。 また、老朽化した野球場の人工芝を張り替える計画にも参画すると、OB会のコネクションを活かして募金活動を展開。7500万円の目標を上回る1億円を集め、人工芝はもちろん、マウンドの盛土まで神宮球場と同じ環境に整備した。 そして、監督就任後は元西武の今久留主成幸、さらに今年一月には元巨人の桑田真澄が相次いで特別コーチに就任(今久留主と桑田はPL学園時代のバッテリー)。前任監督の時代からの谷沢健一も打撃コーチにおり、技術指導は豪華極まりない布陣となった。要は「本気で勝ちに来ている」のが一貫した浜田の姿勢だった。事実そんな周囲の期待に応えるように、早くも浜田の指導は部員の士気高揚に一役買っている。 東大野球部の練習は週6日、朝9時から12時の3時間が基本である。浜田が監督就任以降、冬場だけ週5日になったが、この冬だけでも変化があったという。その象徴が練習開始時の掛け声だ。朝9時、全員で次の言葉を大声で唱和することから練習が始まるようになった。「人として東大野球部員であることを肝に銘ぜよ! チームとして闘う集団であれ! 今日の練習は『限界突破プラスファイブ』! 夢は優勝!」 限界突破プラスファイブのファイブとは、春季に1勝、秋季に4勝の計5勝。あるいは、選手によっては太もも回りを5センチ太くするという複合的な「プラス5」の目標だという。 この掛け声でずいぶん気合いが入るようになったと1年生の白砂謙介も言う。「形としても、言葉としても、『よし、練習するんだ』とやる気が出る。以前は漫然とはじめていたので、今は練習にメリハリがつくようになりました」 練習が開始されると、浜田はグラウンドを回り、一人ひとりの個性に合ったアドバイスをする。ただし、グラウンドに留まらないのが浜田流だ。採り入れたのは日々の練習とは別に月1回行う選手との個別面談である。グラウンドを離れて時間もあるため、技術指導のみならず、個人的な話も語れる。「監督との壁がなくなった」(籔マネージャー)と選手は感じ、その効果によって選手は生き生きと練習するようになった。 あたかも企業がトップ交代で再生するときのようなマネジメント効果。そんな意識改革を、浜田は生み出しているようだった。※週刊ポスト2013年2月8日号
2013.02.03 07:00
週刊ポスト
「伝説の延長17回」実況アナ 1度だけ録画を見直していた
「伝説の延長17回」実況アナ 1度だけ録画を見直していた
 NHKのスポーツアナウンサー、石川洋さんが6日、療養中の病院で亡くなった。53歳だった。 2004年のアテネ五輪では北島康介選手のインタビューで「チョー気持ちいい!」の名言を引き出したことで知られるが、高校野球では、1998年、あの伝説の横浜対PL学園戦延長17回の実況を担当したことでも知られている。生前、その実況にまつわるインタビューをした「横浜vs.PL」(朝日文庫)の著者のひとり、フリーライターの神田憲行氏が石川さんの取材を振り返る。 * * * 実況を担当した当時、石川さんはNHK広島放送局のアナウンサーで37、38歳だった。NHKの中継担当は先に「大会○日目第1試合」という枠だけが決まり、対戦相手はわからない。準々決勝の組み合わせ抽選で横浜高校対PL学園の実況担当が決まり、石川さんは顔面蒼白になったという。石川:準々決勝の組み合わせが決まる前に、「横浜とPLが対戦するカードになったら、喋れるアナウンサーはいないな」と言っていたんです。そこまでのお互いの戦い方をみたら両チームとも隙がないし、それがさばけるアナウンサーはいないなあ、と。そしたら僕が(実況担当に)当たって、死にそうでしたね。どうしようかと思いました。でもある人から、「そういういいカードを引っ張ってくるのも実力のうちだよ」といわれて、すごく嬉しかった。この組み合わせになった瞬間から、いいカードになるのはわかっていいましたから。 試合はPLが先制して横浜が追いかける白熱した展開になった。終わってみれば延長17回、3時間半の試合だった。石川:終わったら汗びっしょりで、暑さと緊張でそれまで気づかなかった。(中継中にアルバイトさんが)冷たいおしぼりを随時もってきてくれるんですけれど、それが中継デスクのいろんなところに散乱していた。フロアディレクターの指示も覚えていません。放心状態だったかもしれない。 試合終了直後、石川さんの中継で今でも私が覚えている言葉がある。勝った横浜高校の小山良男捕手が泣き、負けたPL学園の上重聡投手の笑顔を捉えて、こう言ったのだ。《勝って泣く顔があります。負けて笑う顔があります》 大げさな表現を使うのでなく、事実を述べるだけで、両校のこの試合に賭ける想いを凝縮した。達意の実況だったと思う。石川:見ている人は画面しか見てないので、その画面から読み取れるものはないかなと考えました。こういうとき、準備していた言葉ではダメなんです。自分の中から自然に出た言葉だから、印象に残ったんじゃないでしょうか。 当時、石川さんは「スポーツアナとしてやっていけるか」とキャリアに悩んでいた時期だという。それが17回をやりきったことで、スポーツアナとしての「励みに出来た」と語った。石川:中継後に人から「あそこは違うだろう」と指摘されなかった。それで今でもスポーツアナとしてやれているんじゃないかなと思う。試合後に1度だけ、録画していた中継を見直したことがあるんです。中継している私は目の前の試合を追いかけるのに必死で、あの子たちのプレーのレベルに自分の技術が追いついていない。「ヘタクソだな、お前は」と思いました。 この大会後、規定が変更になり延長は15回までになった。つまり石川さんは高校野球中継で延長15回以上中継した、最後のアナウンサーということなる。 スポーツの実況アナには「名人」と呼ばれる人がいる。我々記者が記者席から中継ブースを見て、「あ、この試合の担当はあの人か」とわざわざラジオやテレビのチャンネルを合わせるようなアナウンサーだ。石川さんは間違いなく、名人の域に達する器の人だった。私の取材後、甲子園球場など現場でお会いするたびに「飲みに行きましょうね」と言いながら、そのままになってしまった。もっといろんな話を伺いたかった。残念でならない。
2013.01.08 07:00
NEWSポストセブン

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