かつての日本の家庭では、家督を継ぐ長男を中心に家庭が回っていくことはよくあった話だ。まして、皇位継承権をもつ悠仁さまが誕生された秋篠宮家において、その傾向が強く表出することは無理からぬ話だった。悠仁さまの誕生は、将来、眞子さまや佳子さまが「天皇の姉」になることを意味していた。
「眞子さまだけでなく、佳子さまにもより厳しくされたようです。あるお身内だけの食事会のとき、佳子さまが秋篠宮さまのことを“お父さま”と呼んだことがあったそうです。そうしたら紀子さまが“殿下とおっしゃい!”とぴしゃり。周囲が“身内の席だから”となだめても“けじめですから”と頑とされていたといいます。
あまりに前のめりな紀子さまに、眞子さまが息苦しく感じられることもあったんだと思います。紀子さまからの『お小言』に対しての反発を口にされたこともあったといいます」(前出・皇室ジャーナリスト)
だが、細心の注意を払おうとされるのは「天皇の母」となる紀子さまにとっては当然のことだった。それは、小室さんに金銭トラブルが持ち上がっても同様だった。
「400万円という金額が高いと見るか安いと見るかは人ぞれぞれです。ですが、もし金銭トラブルを抱えたまま、現在の経済力で眞子さまと小室さんが結婚すれば、夫婦を利用しようという目的でお金や職をチラつかせて近づこうとする人たちがいてもおかしくありません。小室さんのことを、『将来の天皇の義兄』という色めがねで見れば、400万円の借金を肩がわりすることぐらい、大したことじゃないでしょうからね。紀子さまにとっては、そういったスキさえ脅威に感じられたのではないでしょうか」(前出・皇室記者)
悠仁さまファーストを貫かれる紀子さまの、“天皇の義兄”への視線が厳しくなるのは仕方がないことだったのだろう。だからこそ、眞子さまと衝突してでも、小室さんとの結婚に待ったをかける必要に、紀子さまはかられたのかもしれない。
撮影/雑誌協会代表取材
※女性セブン2018年3月15日号