一説には10万種類あるともいわれる「家紋」。古くより自らの家系、血統、家柄、地位を表わすために用いられてきた紋章だが、ここまで多種多様な広がりを見せるのは日本だけである。
家紋の起源は、平安時代中期に遡る。『愚管抄』(1220年)に白河天皇の外祖父・藤原実季が「巴紋」を牛車に用いたと記されているのが最古の記録だ。自分の牛車を探す際の目印に用いたといわれ、ほかの貴族たちも真似て、独自の紋を作り、牛車や衣類などにつけるようになった。
それがやがて家を表わす標章に発展していく。当時の家紋は、鳳凰や木瓜紋など、中国渡来の文様を模したものが多く、貴族はその美しさを競った。
やがて平安末期の源平騒乱期になると武家に家紋が広まった。敵と味方を判別するため、平氏は赤旗、源氏は白旗を用いたが、その後、源頼朝が、源氏の嫡流以外の旗に紋を入れさせた。これが各家の家紋となるのだ。
家紋は戦場での武功を際立たせるため、陣幕、旗、鎧兜などにもつけられた。天皇家の「菊紋」が定められたのもこの頃で、菊を愛した後鳥羽上皇が、持ち物に菊紋を入れたのが始まりとされる。
※週刊ポスト2014年5月23日号