さらに、現・貧困者の味方を装いながら、ひどい仕打ちをしているのは「かつて貧困」だったが現在は大きな成功を収めている人たちだ。それは他人に「自分が成功できたのだから、お前も成功できるはずだ!」なんて真顔で言ってしまう人たちのことを指す。
「私は若い時、貧しくても不眠不休で頑張ったから今がある。だから24時間死ぬまで働け」とか言って若い奴に過酷な労働を強いて、やがては政界に進出してしまったどこかの社長のようなタイプの人はなお悪質だ。
過去に貧困から抜け出し成功した人は、現代の貧困への視点を持たずアナクロな努力を強要しがちだ。努力をした結果としての貧困、努力の機会も奪われている現代の貧困を彼らは考慮しない。この行ないが仮に良かれと思っての激励だとしても、これは「元・貧困の成功者」による傲慢ではないのか。
彼らには「自分の経験はできるだけ棚に置いて語るべきだ」と言いたい。自分を前に出せる読書感想文や映画の感想ならともかく、貧困とはもっとフラットにそれを生み出すシステムの是非が問われるべき問題である。先輩面して親身に歩み寄る姿勢はいらないのだ。「元・貧困」が貧困を語る場合、自分の経験や自意識を出さないのが賢明である。
※SAPIO2014年9月号