――モデル活動が継続できたなら、学校へ行けなくても自信を持っても良いと思いますが。
西田:モデルとしても売れそうで売れなかった。悪いことは何も起こっていませんでしたが、モデル一本で生きていこうという気持ちにもなれない。すごくグラグラしていました。それに、かわいい女の子が好きで集中してたくさん見ているぶん、自分のルックスの至らなさがすごくわかるんです。
モデルとして良いスタイルでもないし、顔立ちに癖があるから正統派女優は絶対無理。そもそも肌が荒れているからテレビに映せる顔じゃない。ショーモデルとしても背が高くないし、細くないし、運動神経もイマイチ。アイドルなんて思いつきもしませんでした。
――ずいぶんネガティブですが、最後はミスiDへ応募しますね。アイドルのオーディションは初めてだったのですか?
西田:地元で所属していたモデル事務所の関係で「国民的美少女コンテスト」に応募したことがあります。書類審査を通過して東京へ行き、集団審査からスチール撮影へすすみましたが、そこで落ちました。でも、集団審査のときから周りに圧倒されっぱなしで、私みたいな人間がいていいのかなと思ってしまいました。
――気圧されてしまった、というところでしょうか。
西田:何が違うんでしょうね。みんな十代で、初々しさも特別な輝きに見えました。大きなオーディションをいくつも経験して、やる気やキラキラにあふれた人に囲まれて、日本中にどれだけタレントやアイドルになりたい人がいるんだろうと思ったら恐ろしくなり、この世界で私は生き残れないだろうと思いました。淡く芸能関係の仕事ができたらいいなという気持ちも、このとき折れたような気がします。
――それでもミスiDに応募して準グランプリに選ばれ、アイドルになりました。
西田:初めてモーニング娘。のコンサートを見て、子どものときに見たアニメそのままにキラキラしていることに衝撃を受けました。そしてアイドルという存在に私もなりたいと強く思ったんです。
コンサートが5月12日、ミスiDの締切日が5月13日でした。ちょっと変わったオーディションがあったなと記憶していて、そのHPをいったん見て閉じました。それでも気になってもう一度見たとき、締切まで1時間を切っていました。このタイミングでこのオーディションがあるのは私への啓示ではないかと思い、自分のプロフィルを送ったんです。
――もし、他のオーディションだったとしても応募していましたか?
西田:していなかったと思います。ミスiDは募集告知の中に「引きこもりでも大丈夫」というのがあったので引きこもりやすい私も安心して送ったんです。送るだけ送ったらアイドルになりたい気持ちが消化できて、結果についてあまり気にしていませんでした。電話番号を間違えて入力していたので「急いで連絡をください」というメールが2、3通入っていて、音信不通のアイドル志望者だったんです(笑)
●西田藍(にしだ あい)1991年10月20日生まれ。熊本県出身。日本人と米国人のハーフ。ミスiD2013準グランプリに選ばれアイドルに。愛読書としてP.K.ディック、カポーティ、エンデ、筒井康隆、林芙美子、伊藤計劃、吾妻ひでお等をあげることから文学アイドル、SFアイドルと呼ばれ『SFマガジン』に連載も持つ。その他『機動戦士ガンダムSEED』でアニメに興味をもち『少女革命ウテナ』、惣流・アスカ・ラングレー、仲村みう、道重さゆみ、矢島舞美、学生制服とそのコスプレがお気に入り。