誰もいなくなったオフィスで“敗戦処理”を始めました。目が眩むような借金でしたが、まずは預金をすべて返済に充て、各地にあったショールームを売却するなど資産を処分し毎月約1億円ずつ返済しました。田園調布にあったショールームは6億円で売れ、返済のスピードを速めてくれるとともに我が社の命をつなぎ止めてくれました。在庫の車も新車の半分以下の値しかつきませんでしたが、少しずつ売却して返済に充てました。
資産や在庫の売却がうまくいかず返済日に間に合わない時には、知人の会社などから借金し、それでも足りないと高金利の金貸しに手を出したこともありました。借金の切迫感から胃に穴が開きそうな日々でしたが、払えるものが残っているうちに次のビジネスを立ち上げてすぐ軌道に乗せなければ、ジリ貧になってしまうこともわかっていました。
この頃は私の給料は当然ゼロです。オフィスの机とイスを毎日1セットずつネットオークションに出し、売り上げの約3500円を生活費に充てました。食事は、ひとつ50円の具の少ないカレーパン。たった1個で1日過ごすこともざらでした。
当時住んでいた六本木ヒルズのマンションも退去し、「住所不定」になってしまいました。マンションの敷地内にある公園のベンチに横になり、そのまま夜を明かそうとしていたら、守衛に「ここは私有地だから寝るな」と追い出されました。
先日まで目の前の高層マンションの住人だった私が、その下の公園にさえ入れないホームレスになったのです。その時、人間は泣きながら歩くと坂道を登れないんだと気づきました。六本木ヒルズの前の坂道を麻布十番方面に下り、バス停のベンチで寝ることに。深夜、大型トラックが通るたびに振動で起こされました。寝床を探し歩くうち、高速道路の下のほうが、静かで雨や風もしのげて快適だと知りました。