「基地の地下室での監禁生活でした。手を鎖で繋がれ、体を鉄の棒で何度も殴られるんです。血を吐いたこともありました。逃げ出した罰として2週間、閉じ込められ、水も食事もほとんど与えられませんでした」
殺されると思っていたラマは、奴隷生活に戻される。連れて行かれたのはシリアのラッカだった。広い民家に100人以上の少女が押し込められた奴隷市場で売りに出された。決まった行き先は、再びモスルだった。
奴隷にされた少女たちは窓を毛布で塞がれた車で、イラクとシリアにまたがる支配地域内を何度も行き来させられる。兵士たちが、買った女性奴隷に飽きては売りに出すからだ。
「次に私を買ったのは、モスルにいるアブ・アブドゥラと名乗る男でした。その男には、市内の基地やいろんな兵士の自宅に連れ回されました。毎晩のように違う兵士が代わる代わるやってきて、セックスを強いられます。基地にいる日は、何人かのヤジディの女の子と一緒になりましたから、彼女たちも同じような目に遭っていたんだと思います」
基地では掃除や洗濯なども彼女たちの仕事となる。数か月が過ぎた頃、掃除中にラマは偶然、兵士の携帯電話を見つけ、一緒にいた少女の家族に電話をかけた。それをきっかけに救出活動にあたる組織が動き、ラマは救出された。
「指定されていた日の夜中に、毛布でロープを作って基地の2階の窓から逃げ出し、助けに来てくれた人と合流しました」
協力者の家を転々とした後、今年1月にラマはクルド自治区に戻り保護された。
「今は早く、どこか違う国へ行きたい」
ラマは最後にそうつぶやいた。
※週刊ポスト2015年7月17・24日号