開閉式屋根の設置を五輪後に先送りするという話も言語道断だ。2012年にザハ案が採用された際、私は「屋根のある競技場」だったから肯定的に評価した。
五輪は何よりも「アスリートファースト」であるべきだ。屋根がなければ選手が真夏の東京で直射日光を浴びることになる。ゲリラ豪雨にも対応できない。
日本人は制約の中で工夫を重ねられる。本来、整備費を増やさずに屋根を取り付ける工夫ができるはずだ。
もともと東京五輪招致は、2013年1月7日にIOC(国際オリンピック委員会)へ立候補ファイルを提出するところから始まった。
各競技団体、外務省、文部科学省、財務省、宮内庁、東京都、官邸、JOCなどが従来の縦割りを取り払い、横串の刺さった「チームニッポン」を作り上げた。各国の委員の経歴や立ち位置、日本のODA(政府開発援助)の歴史など様々な情報を出し合って対策を練り、招致を進めた。
それが2013年9月、ブエノスアイレスのIOC総会で結実した。開催が決まった時、私は「チームニッポンの勝利です」と述べた。心からそう思っていた。
新国立競技場の整備費が3000億円に膨らむという報道が出たのはそのわずか1か月後である。誰がその情報をリークしたのか、今もわからない。何かがその時から動き出していた。
五輪開催決定前の日本人は、夢を失っていた。新国立競技場を巡る問題は、せっかく手に入れた新たな夢を台無しにしている。
声を大にして、「夢を奪うな」といいたい。
※週刊ポスト2015年7月31日号