しかし、その名CM、名キャッチフレーズは、間違っているという。精神科医の松本俊彦氏も、「上岡さんのおっしゃる通りでして」と同意し、「それよりも、薬物依存者が安心して、使ってしまった、飲んでしまった、と言える場所が必要です」と力説していた。依存症の完治はない、回復を目指すものである。「また使ってしまった」「また飲んでしまった」と誰かに話して、自分の行為を振り返りつつ、徐々に依存の度合いを軽くしていければ良く、意志の力で誘惑を断ち切ることができるようなものではない、と。
私もアルコールや薬物、ギャンブルに依存してめちゃくちゃになってしまった知人を何人か知っているが、たしかに彼らの平時はいつも後ろ暗そうだった。○○中毒者と思い、思われている自分の不甲斐なさを嫌悪し、その嫌悪感から逃れるためにまたアルコールや薬物、ギャンブルなどにのめりこむ、そういうことの繰り返しだった。
中には死んでしまった知人もいる。専門病院に無理やり連れて行ったことがあるが、医師と喧嘩して出てきてしまった。夜中に電話をかけてきて、あることないこと悪態をつかれた。いちいちつきあっていたら、こちらの身がもたない。だから、ツイッターでしばしば見かける、「もし身近な誰かが薬物の中毒になっても、絶対に助けるな」「中毒者は周りの者もずたずたにするから、近くにいたら逃げなさい」という話には、私も頷けるところがある。
けれども、死なれたときはそれこそ名CMの人間型金属板みたいに、太くて錆びた釘が自分の体に打ち込まれていくような思いだった。自分の生活を犠牲にしてまで助ける義理はないし、助ける能力もないと割り切っていたつもりだが、1人にさせたことが悔やまれた。精神科医の松本氏も、「1人でなんとかしようとしない。伴走者が必要であると知ることが大事」と言っていた。もし自分の周りに依存症の人がいたら、やっぱり逃げちゃダメなんだ。
イベントでは、依存症の人の家族や周りの者へのアドバイスとして、まずは都道府県や政令都市に設置されている精神保健福祉センターに事情を話し、依存症の専門病院を紹介してもらおう、と言っていた。そして、医療だけでなく、依存症がもとでこじれている司法、住居、(子供の)教育などの問題を、各分野の専門家の力を総動員して片づけていけ、と助言していた。
この国の依存症の問題解決には、マンパワーも資金も制度も足りないと嘆いてもいたが、今はこうしたイベントが催され、ダルクのような支援団体が方々に存在し、関連書籍も容易に入手できる。ヤバイなあいつ、と感じた相手に近づきすぎて、共倒れ、共依存してしまうのは避けたいが、「そういう方法があるみたいだよ」と情報を提供する程度なら誰でもできるだろう。
「こだわりの強い真面目な人が生きる手段として依存を選んでしまう」とダルク女性ハウスの上岡氏が、自身を振り返りながら言葉にしていた。真面目な人ほどバカをみやすい世の中だから、依存症の基礎知識ぐらいは広めたいものだ、と私もけっこう真面目に思った。