(2)のサンフランシスコ平和条約の場合も、ソ連は中国(共産党中国)、韓国と共にこの条約の締結国になっていない。ロシアが結んでもいないこの条約を根拠にあげることは論理が破綻している。
日本人が覚えておかなければならないのは、1951年の条約締結のとき、米国議会は付帯決議として「ヤルタ極東密約」の批准を否決していることだ。ヤルタ極東密約とは1945年2月の米・英・ソ首脳会議で、対日参戦と引き換えにソ連に「千島列島を引き渡す」ことなどを定めたものだ。
米国では大統領が協定や条約を結んでも、議会が批准しなければ効力を発揮しないので、極東密約はフランクリン・ルーズヴェルト大統領の個人的約束のまま無効となった。
ソ連はサンフランシスコ会議で極東密約が明確に否定されることを恐れてこの会議に加わらず、条約も結ばなかった。それはソ連の勝手なのだが、そうすることで、日本に対する権利を失ったのである。
ソ連・ロシアにとって最後の砦となるのが(3)の国連憲章第107条だが、そもそもサンフランシスコ会議に加わって権利をはっきりさせていれば、こんなものを持ちだす必要はなかった。もともとこの敵国条項と呼ばれるものはきわめて曖昧なもので、戦後70年も経つのにこれを持ちだしてくるのはアナクロニズムといわれても仕方がない。
この条項の内容は「旧敵国の行動に対して責任を負う政府が戦争後の過渡的期間の間に行った各措置(休戦・降伏・占領などの戦後措置)は、憲章によって無効化されない」というものである。
北方領土で該当するのは「占領」だが、ソ連は前に述べた経緯から「旧敵国の行動に対して責任を負う政府」とはいえない。終戦直前に火事場泥棒的に、しかも日ソ中立条約に違反して、不法に対日参戦したソ連がどうしてそう呼べるだろうか。事実、ソ連は日本の占領に加わることを要求したが、トルーマン大統領に拒否されている。
また、米国による日本の占領も、ポツダム宣言に明記された占領目的が果たされるまでという条件付きの占領(保障占領という)であって、無期限に占領を続けられるわけではない。事実、米国は占領目的である「軍国主義の排除と民主化」が実現できたとして52年をもって占領を終結させている。
したがって、ポツダム宣言のことをいうなら、ソ連・ロシアも保障占領の時期が終わった時点で北方領土から撤退していなければならない。
ラブロフのいうことがきわめて抽象的だということに注目する必要がある。ラブロフ自身、具体的なことをいうと却って根拠のなさが露呈してしまうことを恐れているのだ。
※SAPIO2015年9月号