さらに悲劇なのは、セックス依存症になってしまったことだ。セックスでは、快感ホルモンのドーパミンとともに、エンドルフィンという脳内麻薬が分泌される。エンドルフィンは、痛みをやわらげる作用があり、勝ち続けなければならない強いストレスから、ウッズを一時的に解放してくれたに違いない。そうやって、セックスを過剰に求めるようになり、やめたくてもやめられない状態になっていったと想像する。
セックス依存症は、モラルの欠如が問題なのではない。ただの色好みとも一線を画する。アメリカ精神学会では、「過剰セックス障害」という病名で、診断基準もある。過去6か月以上、性的な空想や活動に大量の時間を費やし、より多く、より大きな性的刺激を求め、それなしではいられない状態になってしまうことをいう。
ウッズはセックス依存症と診断され、治療を受けた。しかし、皮肉なことに、以前のように、大きな大会で勝てなくなってしまった。快感ホルモンのドーパミンの暴走が、本能を満たすことの原動力となる、いいバランスを壊してしまったのだ。
セックス依存症に限らず、ギャンブルやアルコール、買い物、ゲームなどの依存症はすべて、ドーパミンの暴走が関わっている。そして、現代社会には、このドーパミンを刺激する仕掛けが随所にばらまかれている。
例えば、パチンコで大当たりしなくても、派手な電飾と大音量で、大当たりしたときのような高揚感が得られる。ゲームもそうだ。敵を倒したり、ポイントをゲットしたりすることで、ドーパミンが出る。チョコレートやケーキなど、甘いものをつい食べてしまうのも、砂糖を摂ることでドーパミンが出るからである。
こうして社会を見渡してみると、資本主義社会はドーパミンに支えられていることに気づく。いかに消費者にドーパミンを出させるかによって、消費意欲を伸ばすことが可能だからだ。
だが、生きる本能と直結しない、上っ面だけの快感は、いつまでたっても心を満たしてくれない。いつか虚しさに気づく。同じドーパミンを出すなら、アニメのキャラクターに恋するよりも、生身の人間とつきあうほうが、生きる本能を満たしてくれるはずだ。もちろん、相手は生身の人間だから、傷つくこともあるけれど、それが生きるということだと思う。
※週刊ポスト2015年9月11日号