あと、佐藤亮子氏の発言で非難轟々だったのは、聴衆からの〈大学受験時の願書や医学部の志望理由書は、どこまでサポートしましたか?〉という質問に答えたこの箇所だ。
〈親が書いて、子どもに清書させればいいんです。わが家では、東大の願書が届いたら、まずコピーして、私が赤ペンで必要箇所を書き込んで「見本」を作成していました。子どもは写すだけです。11月や12月といった受験前に時間を取られるのはもったいないです〉
これに対して「過保護」の三文字が矢のように飛んだ。たしかに願書くらい本人に書かせろよと思う。ただし、何度も言うが、東大理三の受験だ。その大戦に勝利したければ寸暇を惜しめ。共に戦う親の仕事は後方支援、最前線の戦士たちに物資の供給をし、戦いやすい環境を整える兵站(へいたん)だ。「代書」では問題があるだろうが、「見本」くらいは当然という気構えなのではないだろうか。
現に、佐藤亮子氏は続けてこう言っている。
〈受験は、「ここに入りたいなー」と漠然と思っていてもダメ。親子ともども腹をくくって、合格まで必死で走ることが大切です〉
不沈空母となるべく腹をくくったのである。ただ、その程度がハンパじゃない。だから、東大理三に我が子を3人も合格させることができた。尋常じゃないから、体験記が書籍となり、こうして公開対談の場も設けられた。つまり、成功者なのだ。
では、彼女を批判し、記事を炎上させた、何十万人か何百万人の治まらない気持は、要するに嫉妬か?
近いが違うと思う。私だって、あえて上記のような見方もできると書いただけで、記事を読んだ時は「たまんねえな」と感じた。その感じ方は、もちろん、彼女の息子の立場になってみて、のものではない。受験も人生も捉え方は個々別々であり、息子さんらの気持ち実際など分からない。
なら、何が「たまんねえな」というのか。それは、「これだけ完璧な兵站に、俺はなれないな……」というため息である。
我が子が東大を希望、医師を目指したとしよう。でも、私には佐藤亮子氏ほどの後方支援を実行する時間も能力も金もない。津田塾大卒で元高校教師だったという彼女は、記事の写真のパッと見印象だと知的で美人の専業主婦だ。旦那さんは何をする人ぞと検索したら、評判のいい人権派弁護士だった。
やはり完璧なのである。人権派には失礼な言い方かもしれないが、いわゆる勝ち組の一家なのだ。という空気が記事からバンバン伝わって来るから、凡人としては剥き出しの階層差をそこに感じ取るのである。
「けっ、そんなボンボンが医者になったって、命を預けたくは絶対ないね」
と強気に言っておきたいところだが、日ごろの不摂生がたたっていつ救急車で東大病院に運ばれ、佐藤ドクターズの世話になるとも知れない。私の場合、そんなことまで考えて、余計に「たまんねえな」なのである。