茶懐石のメニューは茶道創始者・千利休の頃まで遡る。旬の食材や素材の持ち味にこだわり、技に走ることを嫌うんです。そんなことがある度に数江先生は「粋に走り過ぎてはいけないよ」と戒めてくれました。
私はその教えをしっかり守ってきたつもりです。ただ60代で出演するようになった『料理の鉄人』では、対決のため、どうしても地味な懐石料理を派手にせざるを得なくなった。テレビを観ていた数江先生は「おいおい、六さん」と嘆いていましたよ(笑い)。
でも「基本」こそが日本料理の命です。今も弟子は総勢50人ほどいるが、注意するのは「無理のない仕事かどうか」です。技巧に走って手をかけすぎれば、肝心の味わいが疎かになりやすいですからね。
数江先生とは妙に馬が合った。料理の師であり、人生の師でもあります。「お互い死んでも付き合いたい」と話していて、数江先生の紹介もあって、鎌倉にある瑞泉寺には2人のお墓が前と後ろに並んでいます。
数江先生は約10年前に亡くなられて、僕の妻も今はそこに眠っています。妻の墓参りに行くと必ず、数江先生のお墓も掃除して花を手向けていますよ。
●みちば・ろくさぶろう(料理人)/1931年石川県生まれ。1971年に銀座「ろくさん亭」を開店。1993年から始まった『料理の鉄人』(フジテレビ系)では初代「和の鉄人」として活躍。
※週刊ポスト2015年12月11日号
【CAP】恩師の思い出を語る道場六三郎氏