北原:どうなんだろう…母に優しくなったわけでもないんですけど(笑い)。実はうちの母も俳句をやるんですけど、やっぱり祖母のことを詠んでいました。祖母に会いたいんだな、と思ったんです。母がいまだに後悔しているのは、祖母ともっと話せばよかったということなんですよね。それはどんな人との別れでも後悔することだと思うんですけど、母はずうっと悔やんでいて、私とものすごくしゃべりたがるんです。もう強引に話をしようとしてきて…。
井上:電話をかけてきたりすると、面倒くさいなと思ったりします?
北原:前だったら、しつこいんだけど、と言ったかもしれませんけど(笑い)、話を聞くようになったから、変わったのかもしれませんね。体調と状況によりけり、ですが。
井上:それはすごい! 私のことで言うと、母が亡くなって、それまで母に頼っていた分を、今度は娘に頼っている自分を感じますよ。娘は迷惑だろうと思うけど、しばらくはよく聞いてもらっていました。「おばあちゃんって、こうだったよね」と話すと、「そうそう、ちょける(関西弁でひょうきん、かわいげがある)ところがあったよね」とか、娘も思い出話で、私につきあってくれたものです。今も電話でときどき…。
北原:なるほど。私も母とよくしゃべるようになって、母が母になる以前の、女としての人生をちゃんと受け入れられる感じがしました。私は祖母と仲がよかったので、祖母の話は女一代記みたいな感じで聞いていたけど、母親のことは近すぎて、あまり話を聞かなかったし、父親との関係などは正直、聞きたくないところもあるじゃないですか。昨日、私の誕生日だったんですが、母親がうちに会いに来たんです。行ってもいい? 予定ある?って。
井上:来させてあげたのね。
北原:予定があると言っても来るなと思ったから(笑い)、いいよって。一緒にご飯を食べていたら、私が生まれたときの話とかするんですよ。
井上:えー! それって、娘としてはどう思うんですか?
北原:いや、楽しかったですよ。ほんとに痛かったとか、私がなかなか出ないで心配だったとか、夕方のニュースで三島由紀夫が自殺したと知ったとか。そういう時代の空気を感じながら、初めての出産で不安な気持ちでいたときのことを、1つ1つ言葉にしてくれて…。母は祖母が亡くなって、いろんなことを意識してるんじゃないかっていう気がしたんですよね。
井上:きっとそうですね。多分、おばあちゃまが亡くなる前だったら、あり得なかったかもしれない。
北原:なかったと思う。母の中でも日常に戻り切れていないし、祖母の死をまだ引きずっているし。まだ1年経っていないですからね。
※女性セブン2015年12月24日号