澤村氏にとって、少年時代、怖い話や怖い映画は最高の娯楽だった。
「当時は『木曜スペシャル』や心霊写真が学校でも大人気で、自分でも本は怖い本しか買った記憶がない。そのくせ夜は眠れないくらい、怖がりだったんですけどね。
岡本綺堂に憧れたのも、怪奇そのものはもちろん、怖がらせ方に興味があって、分析してみると怖い話って、怖がっている人間の話なんです。本書でも化け物そのものより、周囲の反応を書くことを大事にしたし、『紀伊雑葉』も、執筆者の儒学者・小杉哲舟も、もちろんぼぎわんも、いかにもそれっぽい僕の創作です」
〈小学六年の夏休みの、ある午後のことだった〉。当時大阪にあった祖父母の家で祖母の留守中、玄関のガラス越しに〈シヅさんはいますか〉〈ギンジさんはいますか〉〈ヒサノリさんはいますか〉と、事故死した伯父の名前まで呼ぶ〈灰色の人影〉に答えてしまったことが、悲劇の始まりだった。
〈ち──ちがつり〉と意味不明な音を口にする人影を、認知症を患う祖父は〈帰れ!〉と突然一喝し、いつにない表情でこう言ったのだ。〈秀樹〉〈戸ぉ開けんかったやろな?〉〈ほんまは答えてもあかんねや〉
やがて祖父が死に、祖母が死に、娘〈知紗〉の誕生を待つ一家を異変が襲う。外出中に〈チサさんのことで〉と秀樹の会社を訪れ、生まれていない娘の名を伝言に残した謎の訪問者。応対した部下は原因不明の噛み傷を負って衰弱し、ある日帰宅するとバラバラに切り裂かれていた魔除け札が。さらに奇妙な着信やメール等々、秀樹は祖母がかつて祖父から聞かされたという話を思い出さずにいられない。
〈それが来たら、絶対答えたり、入れたらあかんて〉〈捕まって山へ連れてかれるて〉〈ぼぎわん、言うてはったわ、名前〉……。
「山や海から異者が訪ねてきたり、名前を呼ばれても答えちゃいけなかったり、日本の古い怪談や19世紀の英米怪奇小説の王道は踏まえつつ、長編を書く以上は怖い話を書きたかった。
僕にとっては怖い話=面白い話で、例えば逃げ込んだ新幹線のトイレのドアがガタガタ鳴り出すシーンなんて、お化けなんていないという人でもメチャクチャ怖くなると思うんですよ。でもそれは先人たちの手法や蓄積を自分なりに更新しただけで、僕は作家性がどうとかより、より多くの人をゾッとさせるために工夫や洗練を凝らしたエンタメ精神の系譜に、自分も連なりたいんです」