◆「クルマと会話をするんだ」
成瀬が事故死した2010年は、前年に社長に就任したばかりの豊田が最も苦しい立場となった年だった。会社はリーマンショック後の経営不振で59年ぶりの赤字となり、さらに同年2月にはレクサスの暴走事故に端を発する品質問題で、アメリカの公聴会に出席した。
ニュルブルクリンクでの伝統ある24時間耐久レースに、トヨタは「ガズーレーシング」として2007年から参戦している。社長就任から立て続けに様々な試練に見舞われた豊田を見つめる周囲の目は厳しく、こだわり続けてきたそのレース活動についても批判が高まっていた。だが、まさにそのドイツでのレースのピットを訪れたとき、成瀬について尋ねると豊田はこう語った。
「ここに来てLFAで走っていると、今も成瀬さんが僕の隣に座って見てくれているような、あるいは体の中にいるように感じるんだ」
「成瀬さんが言ったように、公聴会では命までは取られない。その気持ちはレースをやっていなければ生じなかった」
欧州の自動車文化を深く知る成瀬は、豊田に対していつも「自動車会社の社長がクルマに乗って何が悪い?」と語っていた。欧州のメーカーでは経営幹部がサーキットを走るのはそれほど珍しいことではなく、彼は後に社長となる豊田に「テストドライバーとしてクルマを語れる経営者」になって欲しいという思いを抱き続けてきた。
彼はときにトヨタ車やトヨタのクルマづくりに対する辛辣な意見を語り、厳しい運転訓練を課しながら、一台のクルマを少しずつ改造して豊田に乗り味の変化を感じさせた。その中でクルマとは何か、いいクルマを作ろうとする姿勢とはどのようなものなのかを伝えようとしたのである。
「章男さん、あなたはレーサーになるわけじゃない。まずはこのクルマが好きか嫌いか言えるようになれ」
「クルマと会話をするんだ。クルマは生き物だから、計算だけではできない。対話をせずに計算だけで作るから、家電になってしまう」
こうした成瀬の言葉を、運転訓練を通して豊田は吸収していく。ときに「道楽」と呼ばれて批判されてきたレース活動を、彼がどんな状況の中でも決して止めようとしなかったのは、クルマづくりの「師」と仰いだ成瀬と歩んだ時間を信じ続けたからだった。そして、その思いは後に彼自身の経営観を支える哲学になっていった。豊田は社長に就任して以来、「もっといいクルマをつくろう」と言い続けているが、それは成瀬から伝えられた最もシンプルで素朴なメッセージだろう。
「いいクルマを作るのは人なんです。だから僕がしなければならないのは、人を作ること。そこに部署は関係ない。だって僕らがやっているのは自動車会社なんだから」
年間の販売台数でトヨタは4年連続の世界1位となった。だが、自動車業界では常に熾烈な開発競争やシェア争いが続く。豊田の経営者としての評価も、後の歴史によって少しずつ判断されていくものであるに違いない。だが、その評価がどのようなものであれ、この時代のトヨタと豊田章男という経営者は、成瀬弘という一人のテストドライバー抜きには語れない、と思う。
成瀬はある独特な立場をトヨタという大企業の中で歩んだ。クルマづくりへの強い理想を持ち続け、その理想を語り続けることによって、自らのキャリアを切り拓いていった。その彼が豊田と二人で紡いだ師弟の物語を描きながら、ひたむきに「クルマ」を語り続けた一人の男の仕事への情熱に、私は繰り返し胸をうたれる思いがした。(文中敬称略)
※週刊ポスト2016年3月18日号