この頃、トランプ氏は世界各地のカジノで名を馳せた「柏木昭男」という日本人ギャンブラーと出会った。「ロサンゼルス・タイムズ」(1992年2月8日付)によると、柏木氏は1990年2月、トランプ氏が経営するカジノで9億円を儲けた。これを知ったトランプ氏はその後、カジノ側が負けたカネを自ら取り戻そうと、柏木氏にバカラでの直接対決を挑んだという。
6日間の死闘の末、トランプ氏は柏木氏から15億円を奪い返し、“リベンジ”を果たした。これほどまでの執念はどこから生まれたのか。
1990年3月、アメリカの男性誌『プレイボーイ』に掲載されたトランプ氏のインタビューでは、日本および日本人への疑念や嫌悪感が赤裸々に語られている。
「(日本が中東から輸入する原油を運ぶ)タンカーを守っているのは米軍の戦艦だ。日本人は『米軍に感謝する』と頭をペコペコ下げているが、その実、アメリカのやっているバカさ加減をあざ笑っている。日本の優秀なエンジニアは車やVCRを作り、アメリカの優秀なエンジニアはミサイルを作り、それで日本を守っているんだ」
トランプ氏は当時43歳。“商売相手”としての日本人についてはこうも語る。
「日本人はニューヨークのビルを買うことなぞ朝飯前。誰よりも高い値段でビルを買ってくれる。不動産業を営む私にとり日本人は最高の顧客だ。だが、なんとなく屈辱を感じているのも確かだ」(同前)
※SAPIO2016年5月号