シャープ買収を手がける鴻海(ホンハイ)精密工業の郭台銘(テリー・ゴウ)会長。その人物像はあまり知られていないが、朝日新聞台北支局長として、鴻海の成長物語に接してきたジャーナリスト・野嶋剛氏の現地ルポを読めば、この人物の素顔とシャープの未来がうっすらと見えてくる。
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郭台銘のエネルギーの源泉を探るために、郭台銘が学んだ台北郊外の専門学校を訪ねたことがある。
学生時代の郭台銘を知る学校関係者に話を聞くと、学生時代から郭台銘は「郭董」と呼ばれていた。中国語で「郭社長」という意味だ。普段から社長のように態度がでかく、写真を撮るときも社長のように格好つけたポーズを取るからだったという。
その関係者は、郭台銘の今日の成功は「料不中(まったく予想できなかった)」と口にした。確かに「郭董」と呼ばれはしたが、その専門学校はあくまで海外の船乗りを養成する学校であり、世界的経営者を輩出するなど後にも先にも郭台銘しかいない。
後日、学校の関係者が郭台銘に寄付を頼んだところ、こう言われて、寄付を断られたと伝えられる。
「私が卒業しただけで、学校の名誉じゃないか」
テリー・ゴウが吝嗇というわけではない。台湾の寄付団体には毎年多くの金額を贈り、先の台南の震災でも個人で2億台湾ドルの金額を振り込んだ。それでも「無駄なお金は使わない」がモットーであることに変わりはない。
台湾でテリー・ゴウの著作があるジャーナリストの張殿文は、ホンハイを20年近くにわたって追い続けているが、ホンハイが今日のように巨大化する以前の10年以上前のこんな出来事が強い印象に残っている。
郭台銘が東京のキヤノンの御手洗冨士夫社長(当時)に会いにいったとき、帝国ホテルに泊まった。そこで郭台銘は「このホテルは高過ぎる。8千円のホテルで十分じゃないか」と言って、本当にホテルを値段の安いところに変えてしまったという。
郭台銘に最も近い日本人と言われるホンハイ特別顧問で、ファインテック(東京都大田区)社長の中川威雄は、シャープへの過剰なほどの固執は、郭台銘の日本への期待感の表れだと見る。