エプロン姿の美智子さまのお写真が広く公開されたことで、一般国民はより親近感を覚えた。
「少なくとも戦前まで、皇族方の日常生活やプライベートが表だって明かされる機会は少なく、それも相まって皇族という存在に神秘的で神聖な印象を持つ人は少なくありませんでした。そんな中、“普通の家族”としてのお姿が垣間見えたのには、両陛下のご意向が不可欠だったでしょう」(皇室ジャーナリスト)
1994年10月、還暦を迎えられた美智子さまは記者会見で次のように振り返られた。
「皇室も時代とともに存在し、各時代、伝統を継承しつつも変化しつつ、今日に至っていると思います」
そのお言葉には平成皇室を陛下とともに担われる存在として、時代に即す皇室像を作られようとする決意が滲み出ていた。
その後も、「開かれた皇室」への改革は進められていった。2007年4月から春と秋の年2回、両陛下のお住まいである皇居・吹上御苑の一部が一般公開されたほか、陛下の傘寿を記念して、2014年12月からこちらも年2回、乾通りが公開されている。その他にも宮殿や御用邸、宮内庁関連施設の公開を推し進めてきた。それも以前の皇室であれば考えられないことだ。
2013年11月には、陛下が従来の土葬に代わり火葬を希望されていることが発表された。同時に天皇陵(墓地)の全体の面積も昭和天皇、香淳皇后に比べて8割ほどに縮小する方針であることも明かされた。
「陛下は歴代天皇が眠る武蔵陵墓地(東京・八王子市)を訪れるたび、用地に余裕がなくなっていることを気にかけていたといいます。火葬という方法を選ばれたのも、現代社会の通例に近づこうという方向転換だったのでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)
撮影■雑誌協会代表取材
※女性セブン2016年8月4日号