「ちょうど雨宮さんが迷っているとき、中山さんが日本での活動を再開した。中山さんもまた息子をパリに残しての決意でした。中山さんという“先駆者”がいたからこそ雨宮さんも最終決断ができた。雨宮さんは仕事の準備のために日本を訪れるたびに中山さんと連絡を取っていたようです」(前出・テレビ局関係者)
パリにいる子供と日本での仕事――揺れる思いを抱えた2人はある夜、東京・代官山のレストランで会っていた。行きつけのお店をリザーブしたのは中山だった。最近はいつも2人の話は、「私たちの選択はこれでよかったのかな」で始まる。
「雨宮さんが深刻そうな顔で悩みを口にすると、中山さんがふと“なんとかなるんじゃない”と励ます。パリでの思い出話、テロへの心配など話がつきることはないですがいつも最後には“子供たちのためにも、自分たちは胸を張って仕事をして、頑張って生きている母親の姿を見せることしかできない”という話に落ち着くそうです。
中山さんの方も、雨宮さんを励ましている間に“自分も頑張らなきゃ”と思えるようで、パリにいる時よりも密度が濃いようです。本当に2人はいい関係のようですよ」(前出・テレビ局関係者)
パリでは専業主婦は約5%、ほとんどのママたちが働いている。一方、東京は50%以上だという。
※女性セブン2016年8月11日号