〈立ったままの喜多村が、切り出した。
「これから、児玉様のお宅へ行ってくる」
喜多村は、児玉を必ず、「児玉様」と呼んだ。〉(前掲記事より、以下同)
天野氏が訝りつつその理由を聞いた後の2人のやり取りは以下の通りだった。
〈「国会医師団が来ると児玉様は興奮して脳卒中を起こすかもしれないから、そうならないように注射を打ちに行く」
「何を注射するのですか」
「フェノバールとセルシンだ」
いずれも強力な睡眠作用と全身麻酔作用がある。
「先生、そんなことしたら、医師団が来ても患者は完全に眠り込んだ状態になっていて診察できないじゃないですか。そんな犯罪的な医療行為をしたらえらいことになりますよ、絶対やめてください」〉
止める天野氏に対して喜多村氏は激怒し、看護師の持ってきた薬剤と注射器を往診カバンに詰めて出ていった──手記にはそう書かれている。
国会医師団が児玉氏を診察したのは、喜多村氏が児玉邸を訪れてから数時間後。そして喜多村氏が国会に提出していた診断書の通り、「重度の意識障害下」にあり、国会での証人喚問は不可能と判断されたのである。
平野氏がいう。
「フェノバールとセルシンの注射で発生する意識障害や昏睡状態は、重症の脳梗塞による意識障害と酷似している。仮に国会医師団が見抜けなかったとしてもおかしくない」
そして、着目すべきは“主治医が児玉邸を訪れたタイミング”だと指摘する。
「私のメモにも残っていますが、2月16日は医師団の派遣を巡って衆議院の予算委員会理事会が紛糾していた。医師団の派遣そのものを決めたのが正午過ぎで、メンバーが決まったのは午後4時。そこから『2月16日の当日中に行くか』『翌日の朝にするか』を協議し、夜7時になって当日中の派遣が正式に決定した。私は議長秘書として医師団派遣の調整に関わっていたので、時系列に間違いはない。
つまり、児玉氏の主治医は、国会医師団の派遣がまだ正式に決まっていない16日午前中に、すでに“医師団が今日中に児玉邸に来る”と確信していたことになる。医師団派遣はいわば機密事項だった。にもかかわらず、なぜ主治医は知っていたのか。国会運営を取り仕切れる中枢にいて、かつ児玉氏の主治医にもコンタクトできる人物が情報を流していたとしか考えられない」