◆「得をしたのは誰だ」
もし児玉喚問が実現していたら、ロッキード事件は違った方向に展開していた可能性がある。丸紅を通じて角栄氏が受け取ったとされるのは5億円。一方、児玉ルートには21億円が流れたとされている。平野氏が続ける。
「児玉氏の証言が得られなかったため、東京地検は狙いを田中さん一人に絞り、逮捕に全力を傾けた。もし当局が児玉ルートにも切り込んでいたら、ダメージを受けたのは中曽根氏だったはず。私は告発記事を読んだ後に天野医師と会って話したが、児玉氏の主治医だった喜多村氏は、その後、“中曽根氏の主治医”を名乗るようになったと証言している」
事件発覚当時から、角栄氏の逮捕に至る流れは、政治的な思惑のある「国策捜査」ではないかとの指摘がされていた。米議会公聴会で疑惑が出た直後の1976年2月9日に当時の三木武夫・首相は、与党内に累が及ぶ疑惑であるにもかかわらず、「なすべきことは真相の究明」と言明。権力側が政界ルートの捜査を検察に促す“逆指揮権”が発動したともいわれた。
そして結果として、三木首相と党内で対立する角栄氏に追及の矛先が向かった。その三木政権を幹事長として支えていたのが中曽根氏だった。
角栄氏が1976年8月に保釈されると、田中派をはじめとする自民党内の反主流派6派閥が一気に「三木おろし」の逆襲を始め、その際に政権サイドについたのが三木派と中曽根派だけだった。当時、自民党内で壮絶な権力闘争があったことは間違いない。