「決められたこととはいえ、父親が創業した会社に長男が入るって、いかにも衝突が起こりそうですよね。それを危惧した母は、緩衝材のような役割を期待したのでしょう、『他人のために働けても、家族のために働けないの?』と言われ、受け入れてしまったんですね。
私は“究極のスペアキー”なんです。母にとって親の役に立つのが、長男を助けるのが、長女の義務。母もそうやって生きてきたのだと思います。それは不合理な世界で、普通じゃないんだってことも頭ではわかっていたし、そこから抜け出す努力をした時期もありました。でも…刷り込みってどうにもならないんですよね。
だから私は前向きに考えて、60才までは他人のために生きようと思ったんです。人生80年と考えれば、そこから20年は自由に暮らせる。自分をいちばんに考えると、『本当はああしたかった』って、つらいし不満が多くなりますでしょ? でも他人のために生きると思えば、その中で自分のためにできたことってラッキーと思えるじゃないですか? 人の役に立つことも、それ自体うれしいことですし、そういう生き方もありだと思うんです。
もともと社長をやりたいのではなく、『大塚家具』という、いろいろな意味で守るべきものを守りたかった。会社を守るために、目の前のやるべきことをするしかなかったんです。
私ひとり逃げることもできたでしょう。そうすれば人から非難されることもない。でも、その後、会社が悪い結果になれば、自分を許せないだろうと思いました。
そもそも、会社には逃げられない立場の人がたくさんいるんです。社員やお取引先も含めて。このままでは会社が危ないな、という状況のときに、それが見えているのに、逃げ出すことはできませんでした。
周りからは、『なんでそんなに背負ってるの?』と言われますし、確かに私がここまで背負う必要はないのかもしれません。でも、そういうふうに育てられてきたので、見て見ぬふりができない。母の教えの賜物ですね(苦笑)」
※女性セブン2016年10月6日号