スポーツ

金田正一氏 がんの父に捧げた長嶋デビュー戦「4三振」秘話

金田正一氏が語る長嶋デビュー戦の秘話

 自分の「最期」について考えるとき、最も身近な“お手本”となるのは、両親が亡くなった時のことではないだろうか。厳しかった父、優しかった母はどうやって人生を締めくくったのか──。野球解説者の金田正一氏(83)が、「父の死」に際して見たこと、学んだことを明かす。

 * * *
 1958年4月5日、いまでも語りぐさになっている後楽園球場での長嶋茂雄デビュー戦。当時、国鉄スワローズの大エースとして巨人との開幕戦を迎えたワシには、絶対に負けられない理由があった。

 実はこの時、ワシは名古屋に住む親父を球場に招待していた。親父は胃がんにおかされており、東京の医者に診せるために後楽園に呼んでいた。

 球場は4万5000人の超満員だった。三塁側のスタンドから親父が応援する中、ワシは長嶋の初打席を三振に打ち取った。続く3打席も三振を奪い、4打席4三振。ワシの圧勝だった。

 開幕戦の翌日、親父は都内の日赤病院に入院した。もう親父が二度と球場に野球を観に来られないとわかっていたから、ワシはこの年、ひたすら練習し、走りまくり、試合に投げ勝つことだけを目指した。野球が大好きだった親父を喜ばせるには、ワシの勝利を知らせることしか方法がなかった。

 目の色が変わったワシは開幕から9連勝し、70日で20勝到達という最速記録も打ち立てた。弱小球団の国鉄でも巨人戦だけはテレビ中継があったので、親父が病室で観戦していると信じてマウンドに向かった。親父のために投げて投げて投げぬいた。

 試合が終わって病院に勝利の報告に駆けつけると、親父はいつも「ありがとう」と笑顔で迎えてくれた。身長174cmだが、もともと体重100kgを超える巨漢だった親父は、ベッドの上で随分と痩せてしまっていたけど、ワシと会う時だけは病気の痛みを忘れているように見えた。

関連記事

トピックス

無期限の活動休止を発表した国分太一(50)。地元でもショックの声が──
《地元にも波紋》「デビュー前はそこの公園で不良仲間とよくだべってたよ」国分太一の知られざる “ヤンチャなTOKIO前夜” 同級生も落胆「アイツだけは不祥事起こさないと…」 【無期限活動停止を発表】
NEWSポストセブン
広島県を訪問された天皇皇后両陛下(2025年6月、広島県。撮影/JMPA)
皇后雅子さま、広島ご訪問で見せたグレーのセットアップ 31年前の装いと共通する「祈りの品格」 
NEWSポストセブン
草野刑事を演じた倉田保昭と響刑事役の藤田三保子が当時を振り返る(撮影/横田紋子)
放送50年『Gメン\\\\\\\'75』 「草野刑事」倉田保昭×「響刑事」藤田三保子が特別対談 「俺が来たからもう大丈夫だ」丹波哲郎が演じたビッグな男・黒木警視の安心感
週刊ポスト
月9ドラマ『続・続・最後から二番目の恋』主演の中井貴一と小泉今日子
今春最大の話題作『最後から二番目の恋』最終話で見届けたい3つの着地点 “続・続・続編”の可能性は? 
NEWSポストセブン
TOKIOの国分太一(右/時事通信フォトより)
《あだ名はジャニーズの風紀委員》無期限活動休止・国分太一の“イジリ系素顔”「しっかりしている分、怒ると“ネチネチ系”で…」 “セクハラに該当”との情報も
NEWSポストセブン
『ザ!鉄腕!DASH!!』降板が決まったTOKIOの国分太一
《どうなる“新宿DASH”》「春先から見かけない」「撮影の頻度が激減して…」国分太一の名物コーナーのロケ現場に起きていた“異変”【鉄腕DASHを降板】
NEWSポストセブン
日本のエースとして君臨した“マエケン”こと前田健太投手(本人のインスタグラムより)
《途絶えたSNS更新》前田健太投手、元女子アナ妻が緊急渡米の目的「カラオケやラーメン…日本での生活を満喫」から一転 32枚の大量写真に込められた意味
NEWSポストセブン
出廷した水原被告(右は妻とともに住んでいたニューポートビーチの自宅)
《水原一平がついに収監》最愛の妻・Aさんが姿を消した…「両親を亡くし、家族は一平さんだけ」刑務所行きの夫を待ち受ける「囚人同士の性的嫌がらせ」
NEWSポストセブン
中世史研究者の本郷恵子氏(本人提供)
【「愛子天皇」の誕生を願う有識者が提言】中世史研究者・本郷恵子氏「旧皇族男子の養子案は女性皇族の“使い捨て”につながる」
週刊ポスト
夫・井上康生の不倫報道から2年(左・HPより)
《柔道・井上康生の黒帯バスローブ不倫報道から2年》妻・東原亜希の選択した沈黙の「返し技」、夫は国際柔道連盟の新理事に就任の大出世
NEWSポストセブン
新潟で農業を学ことを宣言したローラ
《現地徹底取材》本名「佐藤えり」公開のローラが始めたニッポンの農業への“本気度”「黒のショートパンツをはいて、すごくスタイルが良くて」目撃した女性が証言
NEWSポストセブン
1985年春、ハワイにて。ファースト写真集撮影時
《突然の訃報に「我慢してください」》“芸能界の父”が明かした中山美穂さんの最期、「警察から帰された美穂との対面」と検死の結果
NEWSポストセブン