必死に私に言い訳していましたが、なぜ祖父が「死んだほうがマシだ」と言ったのか。トイレに立つ回数から箸の上げ下ろし。耳の遠い祖父の反応が遅いこと。それから昔の恨み言。興奮する材料には事欠きません。
私の部屋まで、祖父の「ひぃ~、ひぃ~」と、のどの奥から絞り出すような泣き声が届くようになると、私は家にいることもつらくてたまらなくなりました。逃げ場所がほしかった私は、高校に通うようになりました。
◆深夜2時3時まで母の繰り言は止まらない
大学生になると、心理学を勉強したことがきっかけで、母は孤独なんだと思うようになり、母の話に耳を傾けてみました。
最初は、「あんたなんかに話しても仕方がないことだけど」ともったいをつけていましたが、根気よく聞いていたら、母の態度が少しずつ変わってきました。
私や祖父に対する態度が、前のように攻撃的ではなくなってきたのです。大きな声を上げることも少なくなりました。その分、いつ果てるとも知れない繰り言と説教と愚痴。
「あんなパパと結婚なんかするんじゃなかった。私だって商社で働いていた時は『いちばん仕事を任せられる女性』と言われたのよ」と。これが出ると話が長くなります。
37才になるまで家の犠牲になって働いたのに、妹はこう言った、父親にはこう言われた。そんな時に、「明日朝から予定が…」などと言おうものなら、「私と予定とどっちが大事?」。深夜2時3時まで離してくれません。
◆会社の飲み会が開かれる店の前に母が立っていた!
社会人になってからも、母親の束縛は続きました。新入社員は覚えなくてはいけないことがいっぱいで、母のことで悩んでいるヒマはありません。経済的に自立することは、母と離れられること。私は張り切っていました。それが母は気に入らないのです。
会社にいる間も携帯が鳴り、「今、何をしているの。いい? 仕事は要領よくするのよ」。電話に出なくなると、今度は、「何しているの」とメールが何十通。
カウンセラーに相談すると、逃げようとするから追いかけられるんだと言われ、それで、一日の予定を書いたメモを朝、テーブルの上に置いて母に渡していたこともあります。