2002年とはどういう年だったのか? 初めての解放後(戦後)世代の大統領候補として、ダークホースの盧武鉉が当選した年である。そしてこの年の夏、韓国では日韓共同開催のサッカーW杯が行われ、韓国がベスト4まで勝ち上がったこともあって国を挙げて熱狂した年だった。
このW杯の際、今回の朴槿恵退陣要求デモと同じ規模の「100万人街頭応援」が同じ場所で展開されている。
今回は「ロウソクの群集」が内外を驚かせたが、あの時は応援に集まった人々がサポーター用の赤いTシャツを着ていたので「真っ赤な群集」となって内外を驚かせた。ある外国人記者は「ソウルがピョンヤンになったみたい……」とつぶやいたものだ。
今回の「100万人デモ」は1987年のデモではなく、2002年のW杯応援群集に重なるというのが筆者の体験的見立てである。ちなみに、「100万人デモ」の後、参加者が街頭のゴミを集めてきれいさっぱり掃除するのも、2002年W杯と同様のパフォーマンスである。
あの時は「デーハン、ミングック!」(大韓民国)の絶叫が都心にこだまし、老若男女から家族連れまで、お祭り気分で愛国心に酔った。マスコミは「みんな一つになろう!」と連日のように扇動し、人びとは街頭に出かけなければ「のけ者にされそう……」な気分になってソウル都心に繰り出した。
あの「100万人街頭応援」の得も言われぬ高揚感と、韓国チームの活躍によってもたらされた若い世代の自信感……。この社会的雰囲気が、若者世代が支持する盧武鉉を当選させたと当時、そういう分析が多く語られた。
2002年選挙では投票日の直前、やはり若手代表として立候補していた現代財閥の御曹司で韓国サッカー界のドン、鄭夢準が立候補を取り下げ、盧武鉉に合流するという劇的一本化で盧武鉉が当選した。
今年、左翼・革新系の野党陣営が狙うのはこの線である。盧武鉉を勝たせたのは“W杯世代”だったが、今回の朴槿恵打倒の群集デモの主体はまさにその世代なのだ。あの成功体験からしても、今回も大群集の街頭パフォーマンスの後は左翼・革新政権ということになるのだが、さて?
●文/黒田勝弘
※SAPIO2017年2月号