「トップスターの解散のやりかたとして、納得がいかない面はあるでしょう。キャンディーズは“普通の女の子に戻りたい”という名言を残した後、後楽園球場でコンサートを行い、ファンは涙ながらに見送った。シブがき隊もチェッカーズも、それぞれの解散シーンがある。だけど彼らは、すっと消えてしまった。だからこそ、ファンだけでなく、普段当たり前のように彼らをテレビで見ていた、この国の多くの人たちも、突然いなくなったことを消化できないんでしょう」(中森さん)
SMAPの先輩、元シブがき隊の布川敏和(51才)は、「いろいろ理由はあったのかもしれないけれど、自分たちの経験から考えても花道を作ったほうがよかった」と話す。
「シブがき隊は1988年の11月2日に解散コンサートを開催したけれど、解散自体は1年前から決まっていたので、“ファンの人もシブがき隊の隊員で、みんなの拍手が卒業証書です”という台詞で終わらせようと決めたんです」
それは、メンバーのみならず作家まで呼んで、有終の美をどう飾るか、考えに考えた結果だった。
「やっぱり、ファンがそうであるように、アイドルの側も今まで応援してくれたファンたちに感謝を伝えたい。だからあの『スマスマ』で『世界に一つだけの花』を歌ったとき、中居が最後に、手を、本来は1本だけ指を立てる振り付けを、“1、2、3、4、5”と指を折って、最後にパッと開いて手を振ったでしょ。あれはきっとスタッフに事前に伝えて、アップで抜いてもらったんだと思います。ファンやメンバーへ、メッセージを伝えたかったんだと思います」(布川)
シブがき隊の活動期間は8年。人気アイドルの最後の瞬間に立ち会いたいと、解散ライブに全国からファンが押し寄せ、会場を取り囲んだ。そんな絶頂期に、なぜ解散しなければならなかったのか。
「嫌になったとかじゃなく、当時アイドルは何年も続けるようなものじゃなかったし、キャーキャー言われるのがずっと続くなんて思えなかった。しかも、10代半ばで始めたので、そもそもが仕事だと思っていなかった。でも23才になると、3人それぞれやりたい方向がわかってくるし、じいさんになっても『シブがき』じゃあまずいだろう、それじゃあやっぱり解散しようとなったんです」(布川)
気の合う仲間との遊びや部活の延長のような形で結成されたグループも、時を経て大人になればそれぞれ別の人生を歩むようになる。ましてやSMAPは40代。布川は、「解散」を迎えることはある意味、必然だと強調した。
※女性セブン2017年2月2日号