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2017.01.28 16:00  週刊ポスト

戦国の女傑、百の首を獲るも自刃した悲劇の「鶴姫」など

直虎以外にも女傑は存在(「おんな城主 直虎」HPより)

 男性中心社会だった戦国時代に“おんな城主”がいた──その意外性から注目が集まる新・大河ドラマ『おんな城主 直虎』だが、実は同時代に男たちと対等、ときにはそれ以上に渡り合った女性が井伊直虎以外にも存在した。直虎に勝るとも劣らない戦国の女傑たちを紹介しよう。

●妙林尼(みょうりんに、生没年不詳)
 63の首を挙げた最強の尼僧。「戦上手といえば鶴崎城(大分県大分市)の戦いで活躍した妙林尼です」というのは、NHK大河ドラマ『おんな城主直虎』の時代考証を手がけた静岡大学名誉教授の小和田哲男氏だ。妙林尼は、キリシタン大名として知られる大友宗麟の重臣で鶴崎城を居城とする吉岡鑑興(あきおき)の妻。鑑興が耳川の戦い(1578年)で島津軍と戦って討ち死にしたため、出家して妙林尼と名乗った。

 鶴崎城の城主を継いだのは鑑興の子・統増(むねます)だが、島津軍が鶴崎城に迫るなか、統増は島津軍に攻め込まれた主君・大友宗麟を支援するため家臣を連れて鶴崎城を離れてしまい、残されたのはわずかな兵と女性、子供のみとなった。普通なら城を捨てて逃げるところが、妙林尼は奮起。城の拡張・修理工事を行ない、城外に罠を仕掛けた。

 敵軍の大将が尼だとなめてかかった島津軍3000の軍勢は、掘られた落とし穴に次々とはまる。そこへ城内から一斉に鉄砲が放たれた。島津軍は慌てふためいて退却したという。

 戦国時代の九州地方の武将について記した『豊薩(ほうさつ)軍記』によると、妙林尼は策略を繰り広げて16度にわたる島津軍の侵攻を退けたが、矢尽き刀折れ、開城を受け入れた。

「妙林尼が本当にすごかったのはここからです。占領軍である島津方の3人の大将に『行き場所がない』といって城外の屋敷に住み続けることに成功すると、三将を酒宴で接待するなどして彼らの気が緩むように仕向けます。実はそれが妙林尼の謀略でした」(小和田氏)

 秀吉の九州攻めが本格化すると、今度は島津軍が窮地に陥り、鶴崎城を守っていた三将も薩摩へ撤退することになった。その際に妙林尼は「自分も連れて行ってくれ」と頼み、退却する敵陣の中に伏兵を忍ばせておいて島津勢を奇襲した。その結果、2人の大将をその場で討ち取り、残る一人も流れ矢に当たって後に死亡した。

 妙林尼はこの戦で討ち取った首63を主君・大友宗麟のもとへ送ったところ、宗麟は絶賛した。この話を聞いた秀吉も妙林尼の知勇に感服するばかりだったという。

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