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【書評】二十歳の混乱と現実感の欠如を甦らせる語順と文体

【書評】『しんせかい』/山下澄人・著/新潮社/1600円+税

【評者】鴻巣友季子(翻訳家)

 今回の芥川賞受賞作を収録する傑作作品集である。二十歳前の「ヤマシタスミト」は、劇作家が北海道にひらいた演劇塾に合格し、【谷】と呼ばれる辺鄙な土地で修業を積む。その二年間を描くのが表題作だ。

 作者の名が山下澄人で、自身、倉本聰の富良野塾出身だから、日本旧来の「私小説」の括りで論じられもするだろう。とはいえ、今、世界を見渡してみれば、自分と同名の架空人物を登場させて書く重要作家はじつに多い。

 中国の反体制作家・閻連科、南ア出身のクッツェー。虚実の境界はトリッキーにぶれ、時にリアリズムをあっさり超越し、時空間が自在に歪む。山下澄人もこうした流れと同一線上に捉える方が私にはしっくり来る。

 しばしば時空間が不分明になり、超越的視点をもつ山下流の文体は、本作でも健在とはいえ、比較的ストレートな造りだ。演劇塾は自給自足の生活で、スミトは栄養失調で倒れ、森でなにかに追いかけられている気がして半狂乱で逃げ、同期の女性と親しくなったりする。

 秋の葉が目に入ると、いつのまにか過日それを見ていた同期女性の視点に移って、そこから別な農作業の描写になり、また「右と左に山が迫ってきた」と森を歩く場面に戻り、周りの木々を見ながら「山へ馬を入れたことが」と続く話は、もういつとは知れない時間に飛んでいる。あるいは、穴の中に倒れ伏して見えないはずのものが克明に描かれる。

 一見しゃべり言葉をそのまま写したようでいびつな文章は、しかしこの語順、この文体でなければならないのだろう、二十歳の混乱と現実感の欠如と死にたくなるような自由の空漠感を蘇らせるには。

 作中、寝ているスミトの足元に現れる黒い服の男は、入塾テスト前夜を描く併録の編「率直に言って覚えていないのだ、あの晩、実際に自殺をしたのかどうか」に出てくるある男と同じ役割を果たしているようだ。現実と記憶と思い違いと虚構と夢と幻と妄想と狂気の間に、境などあるものか。作者はそう言っているように思う。

※週刊ポスト2017年2月10日号

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