この日付は偶然と片付けられない。李韓永の暗殺に関しては、事件当時から2月16日に控えた金正日の誕生日のための“贈り物”ではないか、という説が有力だった。そして金正日の誕生日は、父の威光に縋りたい金正恩にとっても最重要式典の一つである。金正男暗殺もまた、父に捧げる“贈り物”の意図があったのだろうか。
共通点は他にもある。彼らは北朝鮮の国外におり、しかも、金一族についての秘密を暴露した後に消されている。
李韓永は殺される前年の1996年6月、国際情報誌『SAPIO』(小学館)のインタビューに答え、国際ジャーナリスト・落合信彦氏に「(金正日は)自己中心的で主観的にしか物を言わない」などと金一族の内情を暴露した。
金正男は、2012年1月、東京新聞・五味洋治記者によるインタビュー記録『父・金正日と私 金正男独占告白』(文藝春秋)で「この世界で、正常な思考を持っている人間なら、三代世襲に追従することはできません」と明かすなど、世襲批判を繰り返した。このことが金正恩の逆鱗に触れたことは容易に想像できる。
韓国情報機関・国情院が「金正男暗殺は5年前から計画されていた」と報告したが、まさにその時期は“暴露本”の出版時期とぴたりと重なる。ちなみに、出版後に身の危険を感じたのか、金正男は世襲批判を「許してほしい」と周囲に漏らしていたとも伝えられている。
※週刊ポスト2017年3月3日号