◆いい体の女優は脱ぎ惜しみさせなかった
東映第13期ニューフェイスの成瀬正孝は、『徳川セックス禁止令 色情大名』が実質的なデビュー作だった。以降も鈴木映画の常連として、多くの女優たちと肌を合わせた。
「デビューした直後にサンドラ・ジュリアンの相手役もやっているけど、こっちは右も左もわからない新人。監督に言われるままに動いていただけ。ただ、鈴木監督の現場は、女優の数がやたら多くて楽しいなとは思ったよ(笑い)」
作品では集団脱ぎのシーンが随所に見受けられるが、成瀬によれば、池玲子や杉本美樹を筆頭に「体に自信のある女優は脱ぐ」と、東映ならではの哲学を説いていたという。
今、一連の東映ポルノを再見すれば、1970年代とは思えないほど女優たちのプロポーションの素晴らしさに見惚れる。そんな逸材たちを脱ぎ惜しみさせなかったこともまた、女優扱いのうまい鈴木の功績であろう。
鈴木作品の多くは「エロスと笑いと反体制」の三位一体であるが、決して大上段には構えないと前出の掛札氏は言う。
「脇役に至るまで、登場人物を大事にするんだ。そして画面の中では次々とおもしろいことが起こっていくんだけど、最後に必ず自分のメッセージをぶつけるような監督だったね」
2014年に没した鈴木則文の最後の著書名であり、生涯の座右の銘であったのは「下品こそ、この世の花」であった。映画賞などの評価は低くとも、徹底して「お客さんが喜ぶエロス」を提供した鈴木は、間違いなく「銀幕のサムライ」だった──。
●すずき・のりぶみ/1933年11月26日、静岡県浜松市生まれ。1956年に東映京都撮影所に助監督として入社し、1965年に監督デビュー。1971年から東映ポルノ路線のメイン監督となり、1975年にスタートした『トラック野郎』シリーズは記録的大ヒット。2014年5月15日に脳室内出血のため逝去。
■取材・文/石田伸也
※週刊ポスト2017年4月21日号