余談だが、鈴木が日活に指名され、ロマンポルノ大作『堕靡泥(だびで)の星 美少女狩り』(1979年)を撮った時、文太がトラック野郎の役で友情出演した。すでに大スターになっていた文太がロマンポルノに出たのは、鈴木との絆なくしてはありえない。
鈴木は東映の入社から監督としてデビューするまで、約10年かかった苦労人である。そして1971年、そんな鬱憤を吹き飛ばすかのように『温泉みみず芸者』を撮って、いよいよ東映ポルノ路線の中核を担う。
同作で鈴木と共同執筆した脚本家・掛札昌裕氏が語る。
「東映にとって池玲子と杉本美樹という二人の女優を売り出すために作られた映画。最後に竿師段平(名和宏)と“セックス十番勝負”に持ち込まれるんだけど、その脚本を渡すと、間違いなく乗ってくるんだ(笑い)。奇想天外なアイデアをどうやって映画にしようかと、いつも嬉しそうに考えている人だったよ」
前出の関本監督も、鈴木のサービス精神については同意見。
「とにかく商売人だよ。バイク6台がセックスしながら走る『女番長(すけばん)ブルース 牝蜂の逆襲』(1971年)にしたって、いかに商売として成立するかをあざとく、臆面もなくやる人なんだよ」
鈴木にとって、実はこれ以上の誉め言葉もないだろう。