母が父に連れられて私たちの家に顔を出したのは、私に子供が生まれたときです。
しかし、夫や孫が自分の思うような対応をしないと怒り出すのは昔と同じ。幼い子供が部屋を散らかすのを母はどうしても許せないのです。
「しつけがなっていないから、見ろ、このざまを」と、夫や私をののしります。当然、こんな母に家に来てほしくないので、めったに会いませんでした。
◆祖母も父も亡くなると、いつの間に遺骨が消えた
あれは4年前の春のこと。父が脳梗塞で倒れたのです。入院したと聞いて駆けつけると、病室から母の金切り声が聞こえてきました。
「あなた、それでも医者かい。大学はどこ? ふんっ。だから曖昧な返事しかできないのか」と声を張り上げています。
私は病室から出ていく医師と看護師を追いかけて、母の無礼を謝りましたが、「お母さまは聞く耳をもたないから」と、あきれ顔。すでに同じ騒ぎを起こしていたのです。
ところがいよいよ父が危篤とわかると、母の態度が一変しました。担当医にすがって、延命処置をお願いしたのです。
「お父さんを死なせないでください! 頼みますから助けてください」と。
私は違和感でいっぱいでした。しかし、父を生かしたかった理由はすぐにわかりました。
父が亡くなると、葬式は行わず火葬のみの直葬にする、と母は決めていました。火葬場で骨になるのを待つ間、「あと2年生きていてくれたら、楽ができたんだよ」と、吐き捨てるように言ったのです。
大手ガス会社を定年退職まで勤め上げた父の年金は、満額。「寝たきりでも生かしておけば」と、これも母の言葉です。
◆機嫌を損ねると「財産を寄付する」と脅す母
その後1年ほど、お骨は骨壺に入れてたんすの上に、埃がかかるからとゴミ袋に覆われて置いてありました。
しかし次に実家に帰ったときは、もう家のどこにも父の遺骨はありません。「人に頼んで、お父さんの田舎の川に散骨してもらった」と、祖母のときと同じように、やっかいものを処分したような口ぶりでした。
さすがに77才になった母は、昔のように暴力に訴えることはなくなりましたが、その代わり、1億円強の貯金とマンション2軒という武器を持っています。機嫌を損ねると、それを「寄付する」と言い出すのです。
正直、「そうして」と言いそうになりますが、これまで母にされてきたことを考えたら、遺産くらいもらわないと私は浮かばれません。
〈了〉
※女性セブン2017年5月4日号