新崎青年は同じ頃早稲田で民青の活動家だった宮崎学の回想記『突破者』にも登場する。その回想記中の、「当時は髪も流行の長髪、なかなか堂々たる美男子だった」という一節に、中野氏は、「異議あり!」と言う。「長髪だったのは確かだけれど、『流行の』という感じではなかったし、美男子というには太り過ぎていた」。
のちに朝日新聞の出版局の名物編集者となる丹野清和もしばしば登場するし(中野氏の生涯唯一のカンニング経験は丹野氏の答案用紙を覗き込んだものだ)、さらに大物も。
革マル派の学生が授業前の教室にやって来て中野氏をオルグしようとした。そのリーダーは「なかなかイナセな顔立ち」で蓮見清一と言った。のちに雑誌『宝島』の版権を取得して宝島社の社長となる人物だ。それから、若き日の中野氏の写真がふんだんに載っているのがファンにはたまらないだろう。
※週刊ポスト2017年6月2日号