◆カルテに書かれなかった薬品
山中は、事件の舞台となった京北病院を離れ、1999年6月から現在に至るまで、京都市内の医療療養型病院で医師を続けていた。私は、京都駅から私鉄に乗り継ぎ、古びた病院の入り口の扉を開いた。山中には事前に手紙を送り、取材許可を得ていた。
「どうも、山中です。わざわざ京都までお越し下さって、ありがとうございます」
事件当時58歳だった山中はこの時、78歳。グレーの背広に洒落た黒いネクタイをきちっと結んでいて、服装に気を遣っている老紳士だった。180cmを越える長身で、操り人形で上から引っ張られているような怒り肩が印象的だった。
招かれた応接室は、十分に暖かかったが、山中は、「寒いので暖房を入れてきます」と言って、一旦、退室した。その間、私は、直感的に「彼は悪い人間ではない」と、勝手な思いを巡らせていた。彼が部屋に戻り、発した言葉はこうだった。
「いやぁ、本当にあなたがおっしゃる通りですよ。記事を読ませていただきました」
本連載の読後感を述べたのだ。彼が、私の原稿のどういった部分に感銘を受けたのか、よく分からない。取材対象者から心地良い挨拶を受けるのは、この仕事をしていて初めてではない。ただし、記者から好感を得ようとする振る舞いには、往々にして罠が潜んでいる。私はむしろ警戒感を強めた。