〈バッシングの日々は家族にとっても、大きな試練だった。まだ完全に乗り越えたわけではない。しかし、こと舛添氏と家族の関係は、「今までがマイナスの状態だったので、ようやくニュートラルになったかな」と雅美さんは言う。〉
知事を辞めて、いちばん大変なのが三食、家でとることかな。ずっと謹慎していたから、ご飯が楽しみになっちゃったみたい。お昼の時点で、「晩は何?」と。手を抜けません。でも1年間、休んで主人の表情も朗らかになりましたよ。
主人は常に頭をフル回転させているような人でした。こっちも疲れるんです。誰しも嘘でごまかしたい時があるじゃないですか。主人にはそれが通用しない。あの時あなたはこうだった、ということを全て覚えています。
最近は緊張がほぐれたからか、ようやく仕事以外の部分が抜けるようになりましたね。だから逆に「私、こう言ったよね?」とツッコむこともあります。去年の6月はちょうど結婚20周年だったんですね。ふたりともすっかり忘れていた。
知事辞任後のことですが、主人が「忘れてたけど、20周年だから何かしなきゃね」なんてことを突然言い出したんです。仕事以外の発想がない人だから、私、驚いちゃってね。でも、結局そのままなんですけどね。アレも抜けちゃったのかな(笑い)。どこかに連れてってもらわないと。
――取材終了後、雑談をしていると舛添氏が地下1階に下りてきた。
「雅美さん、(長男が)帰ってきて、水泳に行ったよ」
その言葉を聞きながら、雅美さんは、「やっと息子のスケジュールがわかってきたでしょ」とほほえむ。記念撮影をお願いした。もう少し奧さんに近づいてください、と記者がお願いすると、「いやぁ、怖いからね」と舛添氏はおどけた。まもなく結婚21周年。これからがスタートだ。
※女性セブン2017年6月22日号