◆「将棋って、こう指すもんだろ?」
1992年に44歳の若さで世を去った小池が伝説と称されるのは実力だけではない。当時の小池をよく知る棋界関係者が振り返る。
「とにかく破滅型の人間で、素行の悪さから将棋の師匠に破門された人物でした。年齢制限規定などに例外を設けてのプロ編入が持ち上がっても、素行が問題になって話が流れてしまうほど。当時は大らかな時代で、小池はプロ相手に真剣(賭け)を挑んでカモにしていた。荒れた面もあったけど、対局中は独特のオーラを放っていた」
“真剣師”とは、賭け将棋で生計を立てる人物の呼び名だ。並み居るプロ棋士を次々と倒したという小池には“新宿の殺し屋”との異名までついた。
アマ名人などのタイトルも獲得するようになり、“史上最強の名人”と称された大山との対局が実現した。小池33歳、大山58歳の時のことである。
対局前夜、泥酔した小池は飲み屋で大暴れして警察に捕まり、新宿署内で対局の朝を迎えたという。旧知の都議会議員の計らいで釈放され、二日酔いでフラフラと将棋会館に向かったという経緯を『将棋ジャーナル』元経営者で小池と親交の深かった作家の故・団鬼六氏の筆が伝えている(『真剣師 小池重明 疾風三十一番勝負』)。
その小池が大山という超一流のプロを相手に、角落ちとはいえ、勝利を収めてしまうのが将棋のドラマだ。