街の真ん中にあった府立第5高等女学校(現・都立富士高校)は中野区に移転。1950年に東京産業文化博覧会が開催され盛況のまま幕を閉じると、施設は新宿コマ劇場や新宿東急文化会館へと姿を変えた。紀伊國屋書店も本店を構える東口一帯は、文化的な風土を醸し出す街となっていった。
「1960年に首都圏整備委員会が策定した新宿副都心計画が、西口の発展を大きく促しました。1964年の東京五輪を機に小田急百貨店や京王百貨店が創業、徐々に現在のような街並みができ上がっていったのです」(宮沢氏)
10万坪を超える広大な面積を誇った淀橋浄水場が1965年に廃止になると、西口周辺には1971年の京王プラザホテルを皮切りに、1974年国際通信センタービル、1978年新宿野村ビルディングなど、超高層ビルが次々と完成。1991年には都庁も丸の内から移転、名実ともに新宿は東京の中心地となった。
3年後の東京五輪に向けて、現在も開発は続いている。昨年、新宿駅南口に高速バスターミナル「バスタ新宿」とJR新宿ミライナタワーが開業。四谷にも、駅前に地上31階のタワー棟や商業施設が建設中である。