「観客席の方を見ながらビールを売らなあかんのですが、グランドの方ばっかり気になってしまい、ほとんどビールを売った記憶がない(笑)。春の選抜で横浜に負けていたPLは『打倒横浜』の一心で夏を迎え、ついに横浜と因縁の対戦。試合の主導権をPLが握るんですが、最後には松坂大輔(横浜)の粘投に敗れてしまう。ほんま、忘れられない試合です」
昨年7月15日に行われた東大阪大柏原との最後の試合はバックネット裏で見守っていた。かみじょう氏の周りには、宮本慎也(元東京ヤクルト)や木戸克彦(元阪神)ら、往年のPL学園OBが陣取っていた。
「あ、桑田(真澄)さんもいらしたのかな……と思ったら、(桑田のものまねをする芸人の)桑田ます似さんやったんです。『LP GAKUEN』と書かれた偽のユニフォームを着て。今日だけはそれはちゃうやろー(笑)。ほんま今日だけは、黙って試合を見て、静かに帰った方がええやろうと思いました(笑)」
PL学園が最後に全国制覇を果たしたのが、立浪和義(元中日)、や片岡篤史(元阪神ほか)らを擁した春夏連覇を達成した1987年だ。つまり、黄金期から30年の月日が流れているにもかかわらず、「逆転のPL」と称された奇跡的な勝ち方や、統制の取れた人文字応援、対戦校を威圧するようなブラスバンドの演奏は、今も鮮明に高校野球ファンの記憶に刻まれている。それだけ当時のインパクトが絶大だったということだ。
「バッターボックスに入る時に、胸の御守りを握りしめる。子どもの頃は、PL学園が宗教の学校だなんて知らなかったけど、なんだか神秘的な強さもありましたよね。高校野球をやる子って、もう2度と厳しい練習をやりたくないとか、あの2年半だけはもう一度やりたくないとか、口にするじゃないですか。でもね、彼らにとってすらPLは特別なんですよ。PLの練習や厳しい上下関係に比べたら『俺ら(の高校)はボーイズリーグや』って言う子もいました。いろいろ問題もあったんでしょうが、ずうっと強かったのがPLでした。僕にとっては特別な学校でした」