最後のPL部員となる62期生12人は昨年、公式戦未勝利のまま、最後の夏の大会を迎えていた。甲子園を目標にしながら、彼らはまず一勝して、試合後に校歌を歌うことを願っていた。一時は3点差をひっくり返し、「逆転のPL」を彷彿とさせる野球を繰り広げたものの、6対7で力尽きた。試合終了からしばらくして、応援団席の在校生が校歌を歌い始めると、それが全体に広がっていった。
「横で観戦していたおっちゃんが、大声で『永遠の学園~♪』と歌い終わった後、『永遠ちゃうんか!』って泣き叫んでいた。すごく熱いOBの方やな、と思って、何期生なのか訊ねたんです。『桑田さん、清原(和博)さんよりはちょっと上くらいですか?』と声をかけた。そうしたら『自分は三重県の海星高校です!』と。『おい!PLちゃうんかいっ!!』と驚きました。続けて、訊いてないのに、『長崎の海星ではありません』って(笑)。やっぱり、日本一有名な校歌だから、みんな歌えるわけですよ」
筆者は今年3月に、PL学園の栄光と凋落の歴史と、廃部の真相を明らかにした『永遠のPL学園 六〇年目のゲームセット』を上梓した。かみじょう氏も目を通してくれていた。
「あれほど強かったPLの野球部が何でなくならんとあかんかったのか。そういう単純な疑問にこの本が答えてくれていました。野球部の近くにいる人ほど、活動を続けることが難しいことであるかを分かっていたんですね。でも誰もそのことを口にしなかった。それを口にすることは、自分たちの青春時代、築き上げてきたものを否定することになる。そのジレンマに苦しんでいたんやないでしょうか」
廃部の背景には、信者が減少している教団や、それに比例して生徒数が激減している学校側の事情がある。