◆新たな運命の曲
「アメリカに南国土佐を歌いに来てください」
空前のヒット曲となった『南国土佐──』は、アメリカの日系人たちにも届いていた。日米修好百周年を記念するイベントがロサンゼルスで開かれることになり、そこに招待されたのは、まだ26歳のペギー葉山さんだった。レコードが発売されて一年後、昭和35年のことだった。
渡米直前におこなわれた作家の三島由紀夫氏との対談で、「ペギーさん、ロスに行くなら、ニューヨークまで足を延ばせよ。ブロードウエイがミュージカルですごいことになってるぜ。絶対に本場のミュージカルを観てこいよ」と言われた。
ペギーさんは、ロスで『南国土佐──』を歌った後、ニューヨークに向かった。ロスの日系人は、ペギーさんが歌う望郷の歌を涙を流しながら聴いた。異国で頑張る自分たちの境遇や思いがこの歌への共感を巻き起こしたのである。
ペギーさんは、ブロードウエイで「サウンド・オブ・ミュージック」の劇中歌『ドレミの歌』に出会う。
(この曲は………すごい)
ペギーさんは、客席で動けなくなっていた。それは、身体が硬直して動けないほどの感激―とでも表現したらいいだろうか。優しい音階と、美しいメロディ、さらには、心の底から元気が出るリズムが、ペギーさんの心を鷲づかみにしてしまったのである。一度聴いただけでも、口ずさむことができるメロディだった。
第一幕が終わった時、ロビーに出たペギーさんは、さらに驚くことになる。観客が、至るところで『ドレミの歌』を口ずさんでいた。
(感動したのは私だけじゃない)
ペギーさんは、そのことを知った。そして、この歌を日本に持ち帰ることを決意する。譜面を買い求めたペギーさんは、その夜、ホテルで翻訳に挑戦する。