ファは「ファイトのファ」
ソは「青いそら」
ラは「ラッパのラ」
シは「しあわせよ」
でき上がった時には、
「もうホテルの外の摩天楼が朝になっていました」
ペギーさんは、56年前のその場面を、ほんの昨日の出来事のように、そう語ってくれた。この時、苦しみながら翻訳した『ドレミの歌』が、それから半世紀ものちに発生した東日本大震災で、打ちひしがれた人々に、大きな勇気をもたらす役割を持つことになる。
被災者を励ます歌として、『ドレミの歌』は、東北各地で歌われた。ペギーさん自身も、戦争中に疎開していた福島県いわき市の大野第一小学校に、この歌を歌いに行っている。戦地の望郷の歌『南国節』が、ここまで姿とかたちを変えながら、現代につながっていたことにペギーさんは深い感慨を覚えていた。ペギーさんはこう語った。
「自分では、ただ歌うことが好きで、愛していただけなんです。『南国節』からの不思議な一本の糸がつながっていることは、本当に感じます。実際に次に次に、と必ず私の人生はつながっていったんです。ああ、これからは戦争も語り継いでいかないと、と思いますね。本当に今日はありがとう」
にっこり笑ってくれたペギーさんが、まさか、この4か月後に亡くなるとは夢にも思わなかった。
近しい人だけでおこなわれた4月16日の密葬で、棺の中のペギーさんの胸には、『南国土佐を後にして』の譜面が両手で抱かれていた。それを見た音楽仲間たちは、もう涙を止めることができなかった。
誕生から80年。不思議な運命の糸は、これからも、しっかりと「つながっていく」に違いない。
●かどた・りゅうしょう/1958(昭和33)年、高知県生まれ。中央大学法学部卒。作家・ジャーナリストとして、政治、経済、司法、事件、歴史、スポーツなど幅広い分野で活躍している。『この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(角川文庫)で第19回山本七平賞受賞。主な著書に『なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日』(新潮文庫)、『太平洋戦争 最後の証言(第一部~第三部)』『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』(角川文庫)、『狼の牙を折れ 史上最大の爆破テロに挑んだ警視庁公安部』(小学館)、『汝、ふたつの故国に殉ず 台湾で「英雄」となったある日本人の物語』(角川書店)などがある
※週刊ポスト2017年8月18・25日号