ただ、いくら五社に惚れ抜き、たとえ役に成りきっていたとしても、撮影現場では多くのスタッフの前で、そして最終的には無数の観客に対し、裸になって男と身体を重ねる様を見せるのは、どんな女優でも照れや恥ずかしさが生じるものだ。
そこにも、五社は繊細な気遣いをしていた。五社の演技指導は口で細かく指示を出すのではなく、まず自ら演じて手本を見せるというものだった。それは、濡れ場においても同じ、いやそれ以上に熱を帯びたものになっていた。
五社は助監督を相手に濡れ場を演じてみせた。まず自身が女の役になって、裸になり助監督に攻めさせ、それに対してどう反応した芝居をするのかを見せていったのだ。その上で今度は助監督を女優に見立て、男側の動きをしてみせる。
監督が自ら裸になって助監督相手に濡れ場を演じる。それは「こう演じればいい」という見本になるのと同時に、監督が率先して「恥ずかしい」姿を見せたことで、女優たちは自らの羞恥心を捨てることができ、堂々と濡れ場を演じられたのだ。
◆五社の演出を理解した優秀なスタッフが支えていた
そして、五社がこうした演技指導に集中できたのは、映像面に関してカメラマンの森田富士郎に全幅の信頼を置いていたからに他ならない。森田は、『鬼龍院』以降の全ての五社作品の撮影を担ってきたが、五社の現場での熱のこもった演技指導から瞬時の判断で映像に組み立てていく。
たとえば、『櫂(かい)』での緒形拳と真行寺君枝の縁側での濡れ場。ここでは、五社の演出を受けた緒形が大熱演をみせ、絡み合った男女が縁側からはみ出して地面に届きそうになる。