周囲からは、おしどり夫婦と呼ばれていた(2014年)
◆関取誕生まで封印した歌唱
みづえさんを「角界一の女将さんです」と評するのは相撲ライターの佐藤祥子さんだ。
「みづえさんは鹿児島出身の、いわゆる“薩摩おごじょ(気立てがよくて芯の通った女性)”。部屋のムードメーカーで、無口な親方の陰から弟子たちを盛り上げます。笑いながら、『私が部屋でいちばん小さくて、いちばん気が強いのよ』とよく話しています」
横綱・白鵬(32才)は、二所ノ関部屋に稽古に出向いたとき、土俵の外で立って稽古を見つめるみづえさんの姿を覚えている。若嶋津が倒れたという一報を聞いて、こう話した。
「女将さんが強いし、しっかりしているから大丈夫。早く回復してほしい」
みづえさんは連日の病院通いで疲れた表情を見せることもあるという。
「病院に見舞客が訪れると気丈にふるまっていますが、タレントで娘のアイリさん(28才)と2人きりになると、時折、心ここにあらずといった面持ちになるそうです。ただ、親方が目を覚ますまで、じっと耐えています」(前出・後援会関係者)
そんなふたりが初めて会ったのは1981年、スポーツ紙の対談だった。1年後に仕事で再会した際、若嶋津はある申し出をした。
「出会いから女将さんを気に入った親方が、『次の大一番に勝ったらデートしてください』とお願いしたそう。その一番に勝利して、交際が始まりました。巡業中はもっぱら電話デートで、ふたりきりで会ったことはほとんどなかったそうです」(角界関係者)
当時の若嶋津は「南海の黒豹」と呼ばれた人気イケメン力士。一方のみづえさんもNHK紅白歌合戦に何度も出場する人気歌手だった。
「当時の人気力士は自由恋愛が認められておらず、親方や有力タニマチの娘と結婚するのが一般的。双方とも周囲は交際に慎重でした」(ベテラン芸能記者)
ふたりの追い風となったのは、山口百恵さん(58才)の電撃引退だった。
「みづえさんをかわいがっていた百恵さんは『障害が多いけど時間をかけて理解してもらうしかない』と助言しました。その言葉通り、みづえさんは3年かけて師匠の二子山親方を説得。婚約と同時に芸能界引退を宣言したのも、百恵さんを見習ったからです」(前出・ベテラン芸能記者)
1985年9月27日に結婚。ホテルニューオータニで行われた披露宴は生放送され、視聴率は30%を超えた。
「若嶋津が親方になったら、アイドル歌手に女将さんができるのか」と風当たりは強かった。若嶋津が引退して1990年に松ヶ根部屋を設立すると、みづえさんは女将さん稼業を誰よりも立派にこなしていく。