「相撲のことは一切知らなかった女将さんですが、“お相撲さんより目立ってはいけない”と10歩くらい引き、タニマチへの挨拶や礼状を書き、弟子の世話といった裏方に徹しました。また、『部屋に関取が誕生するまで歌わない』と決め、最初の9年は打ち上げでも歌を封印していました」(ベテラン相撲記者)
◆「弟子ファースト」を徹底してきた
みづえさんのモットーは、「自分がされて嬉しいことを弟子たちにする」。松ヶ根部屋で初の関取となった若孜浩気さん(44才)が振り返る。
「女将さんは華やかな世界にいたかたですけど、引退後は一生懸命親方を立てていました。嬉しかったのは、クリスマスに弟子たち1人ひとりに選んだプレゼントと、思いを込めたメッセージカードを配ってくれたこと。自分もすごく楽しみにしていました。今年8月、親方の還暦をおふたりを招待してサプライズでお祝いした時はあんなにお元気だったのに…」
2014年に部屋の名称を松ヶ根部屋から二所ノ関部屋に変えても、「弟子ファースト」の姿勢は変わらなかった。
みづえさんは2年前の2015年8月、NHKの『第47回思い出のメロディー』で30年ぶりに歌番組で歌唱した。
「緊張しながらも『硝子坂』と『私はピアノ』を歌いました。しかし、番組を見ていた親方の方が落ち着かなかったそうで、『友達と飲みながら見てくれていたみたい』と、みづえさんは嬉しそうに話していました」(番組関係者)
家族ぐるみのつきあいがある尾車親方(元大関・琴風)は救急搬送の一報を聞き、病院に駆けつけ、「いちばん大事な親友」と話した。
「2012年の巡業中に尾車親方は頸髄をねんざし、首から下がマヒしてしまい寝たきり状態に。その時、二所ノ関親方と女将さんが尾車親方の勝星である561羽の千羽鶴を折って見舞いに行きました。今回は尾車親方の家族が515羽の千羽鶴を準備しているかもしれません」(前出・ベテラン相撲記者)
多くの人々が心配する若嶋津の容体は予断を許さない。
「倒れる2日前にはゴルフコンペにも出て元気だったんです…。現在、投薬の量を減らして自発呼吸を促しているそうで、指先がピクッピクッと動くようになっています。女将さんは、手を握りながら“お願いだから目を開けて”と祈っているそうです」(前出・スポーツ紙相撲担当記者)
みづえさんが後ろで支える若嶋津の粘り腰は強い。
※女性セブン2017年11月9日号