「青森の高校を卒業してすぐに上京し、東芝の工場に勤務するようになった主人と結婚したのは22才のとき。私も新潟からの上京組だったので、主人と結婚した後、主人の上司が家に呼んでくれたり、社内の忘年会や送別会があると声をかけてくれたりするのは、東京にも家族ができたようでうれしかったことを覚えています」(60代の元東芝社員の妻)
しかし、穏やかな社風は、1996年に西室泰三氏が社長に就任すると激変する。『東芝崩壊 19万人の巨艦企業を沈めた真犯人』(宝島社)の著者・松崎隆司氏はこう言う。
「西室氏は、東芝の本流である重電系出身ではなく、海外の営業経験が長い『異端児』でした。彼がトップに立ってからの東芝は、事業部門ごとに分社して独立採算にする執行役員制度や社内カンパニー制の導入といった改革を積極的に進めました」(前出・松崎氏)
西室氏の就任以降、岡村氏、西田氏、佐々木氏と続いた歴代の社長は、功名心からか、儲かりそうな事業には資源を投入する一方、お金を生まない事業を整理する“選択と集中”を進めた。それは、かつて東芝が重視した家族主義路線との決別を意味した。
その象徴が2001年に行われた大リストラだ。前年にITバブルが弾け、2500億円の巨額赤字を計上したことを受け、東芝はグループ全体の12%に当たる1万7000人の人員削減と国内拠点の閉鎖を断行した。
「創業以来の大リストラでした。大規模な人員削減に、『あの東芝がそこまでするのか』と経済界に衝撃が走りました」(児玉氏)
この当時、社宅暮らしだった40代の東芝社員の妻はこう語る。
「住んでいた社宅からどんどん人がいなくなっていったことを覚えています。当時のリストラでは、『退職金がたくさん出るから』と、優秀な若手や中堅の社員さんが辞めてしまったそうです。ただその後、『海外の会社にヘッドハンティングされて海外駐在になったはいいものの、慣れない生活に離婚を切り出した』とか『外資系で羽振りがよくなったものの、派手に飲み歩くようになったご主人に愛想をつかした』とか、出て行った奥さんたちもそれぞれ苦悩しているようでした」
※女性セブン2017年11月16日号