その重吉に、才気と孤高の人・忠正は言う。〈たゆたえども沈まず―って、知ってるか〉〈激流に身を委ね、決して沈まず、やがて立ち上がる〉〈それこそが、パリなのだ〉と。
「この言葉は非常に多義的で、今から130年も前に日本の文化を極めて正当な形で認めさせた日本人初のグローバルビジネスマン・忠正とも重なる。ところが帰国後は日本の財産を流出させたと〈国賊〉扱いされ、白樺派に先んじて印象派を紹介したことも知られないまま、彼の名は歴史の闇に埋もれてしまうんです。一方、生前は不遇を託(かこ)ち、死後に脚光を浴びたフィンセントの生涯は一見真逆に映るけれど、たゆたえども沈まない信念という点では、似た者同士でもあります」
そして圧巻は本書の表紙にもある『星月夜』だ。〈いっそ、日本人になってもいい〉とまで言い募るフィンセントを、〈むしろ、この国で、あなた自身の日本をみつけ出すべきです〉と忠正は諭す。その後、精神を病み、鉄格子の中で描いたセーヌの星空と画家自身を思わせる孤高の糸杉を前にしてテオに言う。
〈……成し遂げたんだな〉〈とうとう、フィンセントは描いたんだ。彼が、いちばん描きたかったものを〉
「極限状態であんな凄い絵が描けるとは、本物の芸術家はどん底でこそ最大の力を発揮できるという1つの結論であり、奇蹟ですよね。世界に臆せず挑んだ忠正も『今のままでいいんだよ』なんて決して言わないし、彼がテオに言う〈ゴッホを世界に認めさせるために強くなってください〉という台詞を、私は現代を生きる全ての人へのエールとしてシェアしたかったんです」
あくまでも双方向だった日本と西欧の関係、そして物理的距離も超える想像力や憧れの可能性についても4人の物語は教えてくれ、私たちはまた1つ、ゴッホの絵を見る新たな目を得た。
【プロフィール】はらだ・まは:1962年東京生まれ、岡山育ち。関西学院大学文学部卒。馬里邑美術館、伊藤忠商事を経て、早稲田大学第二文学部で学芸員資格を取得。森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館勤務等を経て、2005年『カフーを待ちわびて』で日本ラブストーリー大賞。2012年『楽園のカンヴァス』で山本周五郎賞、2017年『リーチ先生』で新田次郎文学賞等。現在上野・東京都美術館では『ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』が開催中だが、「実は全くの偶然なんです!」。
■構成/橋本紀子 ■撮影/国府田利光
※週刊ポスト2017年12月15日号