佐藤:「一病息災」というのは「無病息災」より味わいがある言葉かもしれませんね。病気や体調不良も、「自分の体と向き合うきっかけ」と考えればポジティブに捉えることができるかもしれない。
山田:たとえば大病を患ったとき“なぜ自分だけがこんな目に”と恨む人がおる。その一方で“病気になったおかげで健康のありがたみがわかった”と考えられる人もおるわけですわ。同じ病気でも依りどころを転じてみると、受け止め方がこれほど変わってくる。これを仏教では「転依」と言います。
「価値観を変える」という意味ですね。どんな病気も、災いも与えられた「ご縁」であると感じ取れるか。たとえつらいと思えることに直面したときでも感謝できるかどうかが大事なのです。
佐藤:私は広島出身で、被爆2世でした。その影響から病弱で、3度の手術を経て、中学生のときに初めて自分の足で歩けるようになった。子供の頃は自分の運命を恨みましたよ。ですが、その障害があったからこそ医療のありがたみに触れ、医者を志すことができた。後に長老のお話を聞いたとき「これもご縁だな」と思えたんです。
山田:仏教には「一切皆苦」という言葉もあります。生きることは苦しみの連続や、いうことですな。とくに50代、60代と年齢を重ねれば体も衰えるし、いろいろと不安が増えてくるのは仕方のないことでしょう。しかしわずかなご縁にも喜び、生かそうとする気持ちで日々を生きていれば、世の中のすべてが有り難い、感謝すべきものであると思える。そんな心を日々少しずつ育てていきたいもんですな。