こうした前近代的な感覚は、今やあらゆるところで散見され、現場を疲弊させている。東京都内の若者向け複合ビルに入る100円均一ショップ店長も、中高年客への対応に頭を悩ます。
「100円のシュークリームパックを購入された高齢女性客が『量が少ない』と開封したものを返品に来られました。一般のお客様であれば、間違って買っても『100均だし』と、ほとんどの方は返品には来られない。間違って買ったものならまだしも、数も見える商品でしたし、そもそも開封されていますし……」(100円ショップ店長)
激安の象徴でもある「100円均一ショップ」などのディスカウントショップはサービスや人件費をできる限り抑えることで、安い商品価格が維持できる。消費者もその仕組みを理解しているからこそ成り立つ商売、というわけだが、値段以上のサービスを求められる従業員たちは、中高年クレーマー客への対応に追われるがあまり、別の作業が出来なくなるばかりか、他の客への応対すらままならなくなっているのだとうなだれる。
クレーマーには若者や、小さい子ども連れの大人もいる。彼らはクレームをつけることによって商品をタダで手に入れようとか、特別サービスをしてもらおうという下心をのぞかせることが多い。ところが中高年層クレーマーの多くに共通するのは、自分がクレームをつけることそのものが相手のためになる、ひいては世の中のためになる正義であると信じていることだ。
端から見ると「自分が不快だから」「自分が気に食わないから」といった、極めて身勝手な論理を振りかざしているようにしかみえない。ところが、ぶつかってきた子どもの親と店員をしつこく責めるのは、子どものしつけを十分にできない親と世間に言い聞かせているつもりなのだ。量販店で色やサイズ展開に注文をつけるのも、その店のサービス向上に貢献してあげていると考えている。そして、サービス業とは費用対効果を度外視したサービスをすべきだという、右肩上がりの経済成長を続けていた時代の働き方を今も信じている。