「実はその解消策が空気の検閲。大量の本や新聞を一から調べるより、事前に相談や指導、脅しや宥めすかしといったコミュニケーションを図った。その方が、版元もいきなり発禁にされるより経済効率がよかった。その結果、忖度が常態化し、戦時下の〈自主規制〉にも繋がっていくのですが、一見高圧的な検閲の現場が、実際は人間臭いやり取りを軸に回っていたこと自体、私にとっては発見でした」
しかもこの検閲官の顔ぶれが実にユニークなのだ。特に非正規の雇員は高学歴で文化芸術にも造詣が深く、評論家より詳しい者もいた。半面その自負が空回りもし、谷崎潤一郎の『検閲官』には、〈役人ではあるが芸術が分る〉と思われたい検閲官と、彼を懐柔する劇作家の攻防がコミカルに描かれる。
「むろんこれは谷崎の創作ですが、実際彼らは大作家の作品にも平気で手を入れた。大学は出たものの職がなく、屈託を抱えて役人になったりした人生遍歴も面白い。彼らは語学にも堪能で、中国の通俗小説を摘発した時の抄訳なんて、原文以上に淫靡で格調高い名文なんです(笑い)。そんな個性豊かな面々が、戦前の検閲を担っていたわけです」
◆面白く政治的で複雑なのが人間
その後日本は日中戦争に突入。特に軍部の介入後は映画等も〈海を見たら要塞地帯と思へ〉など制限事項が増え、〈日本兵の残虐行為〉も一切掲載不可。石川達三の小説『生きてゐる兵隊』には司法処分まで取られた。